三河一向一揆
浄珠院には、1563年から64年の三河一向一揆の時、家康の本陣が置かれ、制圧のため、自ら指揮をとりました。激しい戦の後、一揆方から提案された和議の案がここで成立しました。 JR岡崎駅近くにあるイチョウの木が印象的な寺院です。 ランキング参加中日本史 …
1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…
岡崎の玄関というと、どうしても岡崎城に近く、活気のある名鉄「東岡崎」駅になってしまいますが、JR東海道線の「岡崎」駅にも「松平元康像」があります。そして、JR岡崎駅の界隈は、三河一向一揆の拠点となった地域でした。名鉄「東岡崎」からJR岡崎駅とい…
三河には、親鸞がひらいた浄土真宗(一向宗)の門徒が多いとされています。そのきっかけとなったのが、親鸞が東国布教からの帰京の途中、この地に立ち寄り、妙源寺で説法を行ったことだと言われています。妙源寺は、JR西岡崎駅のすぐ北にあります。 また、JR…
三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在…