名古屋
家康の前半の人生で対峙する相手として最も大きな存在だったのが武田信玄と武田氏。1582年の天目山の戦いで、事実上、断絶しました。 一方、後半の人生で対峙する相手として大きな存在となるのが豊臣秀吉と豊臣氏であることは間違いないでしょう。1615年の大…
小牧山の風景です。
大阪の陣の前、1610年に、江戸や駿府より西にある徳川の大拠点として築かれたのが名古屋城。名古屋の城下町を作ったのは家康です。 尾張の中心は、それまで清須城でしたが、水害や水攻めなどによる防衛を考え、城だけでなく街の建物、人といった機能をそのま…
お亀の方(おかめのかた、1573-1642)は、御三家筆頭の尾張徳川家初代・徳川義直の生母として知られる家康の側室です。家康の側室となる前には、尾張藩の2人の有力家臣も生んでいます。 竹腰正信 - Wikipedia 石川光忠 - Wikipedia 1600年、五郎太(後の徳川…
竹千代は、熱田神宮、七里の渡し付近で人質生活を過ごしたとされています。 竹千代と、今川に囚われた織田信長の兄である信広が人質交換された場所とされる碑が、名古屋市の笠寺観音(笠覆寺、りゅうふくじ)にあります。 笠寺観音(かさでらかんのん) 宮本…
大高城は、桶狭間の戦いの前に、今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行い、成功したことで知られています。 昔は海岸線にあった大高城を訪ねてみました。 大高城やその周辺の織田方2つの砦は、JR東海道線の大高駅付近にあります。 …
浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…
徳川家康の側室のうち、政治外交的な役割をした阿茶局などに対して、西郷局(お愛の方)、養珠院(お万の方)、相応院(お亀の方)は、二代将軍の秀忠、御三家の当主の生母として重要な存在になっています。 西郷の局 二代将軍である徳川秀忠は掛川出身の西…
江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…
忍冬酒(にんどうしゅ)は、家康の愛した薬酒とされています。スイカズラ(忍冬)のリキュールといったものです。近年復活したものですが、あちこちで見かけることができます。インターネットでも入手できます。 スイカズラ(吸い葛、学名: Lonicera japonic…
名古屋近郊にジブリパークができて、日本唯一のリニアモータカーの営業線の愛知高速交通の東部丘陵線リニモ(名古屋市名東区の藤が丘駅から愛知県豊田市の八草駅)の注目が再び集まっています。 長久手古戦場駅は、その途中にある駅です。駅前には、イオンの…
信長が美濃攻略の拠点とし、家康が秀吉との対峙に利用した小牧山城。 この城がなぜ利用されたのか、実際にその地に行くと実感することができます。 「公の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」 頼山陽『日本外史』 j…
この絵はあまりに有名ですが、「徳川家康三方ヶ原しかみ像」というのは「脱糞」や「人の一生は重荷を負うて」とともに、史実としては否定されているというのが常識になっています。 実物は名古屋の徳川美術館にあるということですが、見たことがありません。…
清須同盟、清須会議、関ケ原直前の拠点、清須超えなど、歴史上の重要なイベントで知られる清須城。江戸時代始めに書かれた「三河物語」には「清須」、「信長公記」には「清洲」と書かれています。現在は市名、駅名などに「清須」が使われていますが、清須超…
名古屋市熱田区の熱田神宮。三種の神器の1つの草薙剣を祀る神社です。壇ノ浦で失われたとされる草薙剣がここにあるとされています。 源頼朝が生まれた 熱田神宮の横(誓願寺、地下鉄・名城線神宮西駅近く)には、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝が生まれたと…