徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

徳川家康

小梳神社と別雷神社@静岡市

浜松の家康の散歩道にある3つのマイナー神社について、以前、紹介しました。 一方、静岡市の駿府城の近くにある小梳神社と別雷神社も、家康関係で紹介されるあまり馴染みのない神社です。 小梳神社(おぐしじんじゃ) 梳というのは、髪をとかす「くし」です…

三大東照宮の滝山東照宮

全国に130ほどあると言われる東照宮のうちでも、三大東照宮といわれるものがあります。久能山東照宮と日光東照宮は特別として、しばしば三大東照宮の一つと言われるのが、岡崎の滝山東照宮です。 東照宮 - Wikipedia 滝山東照宮(たきさん とうしょうぐう)…

井伊谷城に登る

家康の城ではないですが、家康とも関わりのある城が、井伊城です。井伊谷を治めた井伊氏の居住のための城が井伊城で、平城です。一方、井伊城に付設した井伊谷城は山城ですが、狭い山頂部と簡単な土塁を造っただけのの物見台のようなもので、籠城戦といった…

三方ヶ原の戦いを辿る

三方ヶ原の戦い。まとめ編です。 三方ヶ原霊園の近くにある「三方ヶ原古戦場」 三方ヶ原合戦の開始は夕方であったと伝えられています。夕方になると、三方ヶ原古戦場の文字がくっきりと浮き上がっています。 犀ヶ崖(さいががけ)資料館 本多忠真顕彰碑 犀ヶ…

静岡浅間神社の立川流彫刻

静岡浅間神社の立川流彫刻は、日光や久能山東照宮と同様に、絢爛豪華な装飾美を持った日本文化の一面です。わびさびの美とは対照をなすものですが、日本美術の違った部分を味わうのも楽しいものです。 大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ) 「阿倍乃市(…

磐田・見付の未完成城

先日放送されたNHKの「英雄たちの選択」で家康による見付(磐田市)での築城の試みが大きく取り上げられていました。 「英雄たちの選択」、これほど幻となった家康の見付城を取り上げてくださった番組はなかったと思います。見付城はいまは城山球場で、その…

お愛の方と家康の馴れ初めはどこ?

江戸幕府の二代将軍となった秀忠の生母として知られるお愛の方(西郷局)。 姉川(1570)、三方原(1572)、長篠(1575)、信康・築山殿処分、本能寺と伊賀越(1582)、天正壬午の乱、小牧長久手(1584)までの浜松時代(1570-1586)に家康を支えた、掛川生まれとされる…

人質交換の地@笠寺観音

竹千代は、熱田神宮、七里の渡し付近で人質生活を過ごしたとされています。 竹千代と、今川に囚われた織田信長の兄である信広が人質交換された場所とされる碑が、名古屋市の笠寺観音(笠覆寺、りゅうふくじ)にあります。 笠寺観音(かさでらかんのん) 宮本…

大高城と桶狭間

大高城は、桶狭間の戦いの前に、今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行い、成功したことで知られています。 昔は海岸線にあった大高城を訪ねてみました。 大高城やその周辺の織田方2つの砦は、JR東海道線の大高駅付近にあります。 …

松平8代(その6)大樹寺

大樹寺(だいじゅじ / だいじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 松平4代の親忠により、1475年に創建されたと伝えられています。 多宝塔は、松平清康の時代、1535年にできたとされ、大樹寺では現存する最も古い建物です。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代…

松平8代(その5)松應寺横丁

岡崎城の北側に少し歩いたところにある松應寺(しょうおうじ)は、家康の父である松平広忠の廟所や松應寺横丁で知られています。小さいけれども印象深い浄土宗のお寺です。 1549年に広忠の菩提を弔うため、1560年に家康が創建したということです。松を見て家…

松平8代(その4)広忠と清康@大林寺

家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。 8代 広忠 松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林…

松平8代(その3)白土塀の随念寺

家康の祖父である松平清康は尾張の守山城で変死し(森山崩れ、守山崩れ)、遺骸は岡崎市中央部にある随念寺で荼毘にふされました。墓所は岡崎城の北側にある大林寺、そして松平家の菩提寺である大樹寺にあります。 7代 清康 安祥松平家の3代。安祥城城主およ…

松平8代(その2)安祥

安祥城(安城城)は、松平氏が居城とした平山城で、松平3代から7代が利用しました。それぞれの関わりは以下のようになります。 3代 信光岩津を拠点にした信光は、応仁の乱中には安祥(安城)、岡崎を攻略し、松平氏発展の基礎を固めました。 松平信光 - Wiki…

松平8代(その1)岩津

徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。 今…

信康の供養塔@浜松、岡崎、清水

徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…

築山と築山殿の墓碑を訪ねて@岡崎&浜松

岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれる家康の最初の正妻。 今回は築山殿についてまとめてみたいと思います。 File:築山殿.jpg - Wikimedia Commons 岡崎市の築山 「築山」があったとされる岡崎市の康生郵便局の近辺の風景です。籠田公園の南…

家康ゆかりの法蔵寺と近藤勇、冨田勲

法蔵寺は、岡崎市本宿にある浄土宗のお寺です。岡崎市内にありますが、名鉄の電車で東岡崎駅から5駅行ったところにあるので、岡崎城などの観光スポットからは外れています。 本宿は、東海道53次の赤坂宿と藤川宿の間にある場所で、柴田勝家の子孫の命により…

知立神社と側室お万の方

家康の側室で「お万の方」と呼ばれる側室は2名います。 一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、日蓮宗に帰依した養珠院と呼ばれる人物です。 もうひとりの「お万の方」は、長勝院(ち…

三河一向一揆(その4)吉良氏の里

1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…

三河一向一揆(その3)JR岡崎駅かいわい

岡崎の玄関というと、どうしても岡崎城に近く、活気のある名鉄「東岡崎」駅になってしまいますが、JR東海道線の「岡崎」駅にも「松平元康像」があります。そして、JR岡崎駅の界隈は、三河一向一揆の拠点となった地域でした。名鉄「東岡崎」からJR岡崎駅とい…

三河一向一揆(その2)JR西岡崎駅かいわい

三河には、親鸞がひらいた浄土真宗(一向宗)の門徒が多いとされています。そのきっかけとなったのが、親鸞が東国布教からの帰京の途中、この地に立ち寄り、妙源寺で説法を行ったことだと言われています。妙源寺は、JR西岡崎駅のすぐ北にあります。 また、JR…

三河一向一揆(その1)本證寺

三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在…

徳川家康と磐田市役所のソテツ

磐田市には、中泉御殿やその関連建築、見付の未完成城、伝・酒井の太鼓、一言坂の戦い跡だけでなく、徳川家康ゆかりのものが、いくつかあります。 磐田市役所の前に大きなソテツが植えられています。「お手植えの蘇鉄」というと、その人が直接植樹したものを…

徳川家康ゆかりの賤機山のお寺

「しずおか」の名前の由来となった静岡市の賤機山(しずはたやま)のふもとにあるのは、静岡浅間神社と臨済寺が有名ですが、徳川家康ゆかりの2つの寺社を紹介します。 安西寺 安西寺は時宗のお寺です。 松高き丸山寺の流れの井 いくとせすめる秋の夜の月 (…

於大の方ゆかりの刈谷、東浦、境川

刈谷市と東浦町は、徳川家康の生母である於大の方ゆかりの地。於大ゆかりのとても立派な施設があることに驚きます。また、刈谷と東浦町の間にあるのが、境川。三河と尾張の国境にある河川です。したがって、刈谷市は三河に、東浦町は尾張にあるということに…

わかる浜松城(その3)家康の散歩道のマイナー神社

浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…

わかる浜松城(その2)鬼門と裏鬼門

引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。 はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出していま…

わかる浜松城(その1)城

城郭は、時代を経て、様々に変わってしまうので、昔の姿がよくわからないということがあります。浜松城は史跡としては、真正性が低くて、チート感満載です。静岡市の駿府城の場合は堀が残っているので理解しやすいですが、浜松城は堀が残っておらず、その様…

三ヶ野の戦いと大日堂@磐田

武田vs徳川(+織田)の「三方ヶ原の戦い」の前哨戦が「一言坂の戦い」なら、そのまた前哨戦が「三ヶ野の戦い」です。三ヶ野(みかの)は、磐田市の東側に位置します。 大日堂 その際、徳川方(本多忠勝)が、東からやってくる武田方を物見したというのが大日…