織田信長
小牧山の風景です。
長篠・設楽原の戦い、特に設楽原の戦いがどんなものであったのかは、このあたりを訪れてみることで、よく理解できます。 長篠の戦いと言われることも多いですが、長篠と設楽原の間は5キロメートルくらいあります。異なる場所といってもよいくらいです。また…
今回は、鳥居強右衛門(とりい すねえもん)関係の場所です。 長篠城址の本丸・野牛曲輪跡 長篠城址は、寒狭川(現在は豊川とよかわ、左)と大野川(現在は宇連川うれがわ、右)が合流する場所にあります。鳥居強右衛門磔の地は左側の豊川側にあります。 鳥…
武田四天王は、馬場信房(馬場信春)、内藤昌豊(昌秀)、山県昌景、高坂昌信の4人です。 長篠城址の西側少しのところに、馬場信房の墓碑と中央構造線の露頭があります。 左側に見える木のかたまりが馬場信房の墓碑です。 中央構造線露頭 林の中を歩いていく…
日本史のなかでも徳川・織田vs武田の戦いである長篠・設楽ヶ原の戦いは、特に重要な合戦だと思います。長篠城跡そのものを見学する機会はあると思いますが、今回のシリーズでは城でない部分を中心に回ってみました。 長篠城跡の北側にある大通寺には、盃井と…
渥美半島の田原市にある田原城は、当初、戸田氏の渥美半島支配の拠点でした。 1547年、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河に送られることになっていた竹千代(家康)を護送する予定でしたが、寝返って織田信秀に渡したとされます。その結果、田原…
竹千代は、熱田神宮、七里の渡し付近で人質生活を過ごしたとされています。 竹千代と、今川に囚われた織田信長の兄である信広が人質交換された場所とされる碑が、名古屋市の笠寺観音(笠覆寺、りゅうふくじ)にあります。 笠寺観音(かさでらかんのん) 宮本…
大高城は、桶狭間の戦いの前に、今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行い、成功したことで知られています。 昔は海岸線にあった大高城を訪ねてみました。 大高城やその周辺の織田方2つの砦は、JR東海道線の大高駅付近にあります。 …
信長が美濃攻略の拠点とし、家康が秀吉との対峙に利用した小牧山城。 この城がなぜ利用されたのか、実際にその地に行くと実感することができます。 「公の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」 頼山陽『日本外史』 j…
清須同盟、清須会議、関ケ原直前の拠点、清須超えなど、歴史上の重要なイベントで知られる清須城。江戸時代始めに書かれた「三河物語」には「清須」、「信長公記」には「清洲」と書かれています。現在は市名、駅名などに「清須」が使われていますが、清須超…