徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

徳川家康と本田宗一郎(2)

徳川家康と本田宗一郎がほぼ同じ場所から、その後の人生を切り開いていったことはあまり知られていない。

アート商会

本田宗一郎ものづくり伝承館に掲示されている当時の浜松の地図(戦前、1935年から1945年ごろ)。本田宗一郎氏の「アート商会」が見える。

 

アート商会に相当する場所にある本田技研発祥の地の目印。

本田技研発祥の地の目印付近から、上の地図で赤い大きな矢印がついている付近を望む(六間道路)。現在は何の手がかりもない。六間道路を西側に行くと、現在の静岡大学浜松キャンパス(工学部)に直接つながる(古い六間道路は、現在の上地自動車学校のところで分岐している)。そこはテレビ発祥の地である。

本田技研発祥の地の目印の前は現在「ドリーム館」となっている。

元城町東照宮と引間城

本田技研発祥の地の目印から南に100メートルほど行ったところにある元城町東照宮

元城町東照宮は15世紀に築城された引間城跡に建立されている。1570年、遠州に入った徳川家康は、西側に大きな浜松城を築城するための拠点として、引間城を利用した。

 

木下藤吉郎

後に豊臣秀吉となる木下藤吉郎が16歳のころに引間城を訪れ、猿まねをして栗を食べたという話が伝わっている。元城町東照宮には、徳川家康と木下藤吉郎がいる。

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