徳川家康と本田宗一郎がほぼ同じ場所から、その後の人生を切り開いていったことはあまり知られていない。
アート商会
本田宗一郎ものづくり伝承館に掲示されている当時の浜松の地図(戦前、1935年から1945年ごろ)。本田宗一郎氏の「アート商会」が見える。
アート商会に相当する場所にある本田技研発祥の地の目印。
本田技研発祥の地の目印付近から、上の地図で赤い大きな矢印がついている付近を望む(六間道路)。現在は何の手がかりもない。六間道路を西側に行くと、現在の静岡大学浜松キャンパス(工学部)に直接つながる(古い六間道路は、現在の上地自動車学校のところで分岐している)。そこはテレビ発祥の地である。
本田技研発祥の地の目印の前は現在「ドリーム館」となっている。
元城町東照宮と引間城
本田技研発祥の地の目印から南に100メートルほど行ったところにある元城町東照宮。
元城町東照宮は15世紀に築城された引間城跡に建立されている。1570年、遠州に入った徳川家康は、西側に大きな浜松城を築城するための拠点として、引間城を利用した。
木下藤吉郎
後に豊臣秀吉となる木下藤吉郎が16歳のころに引間城を訪れ、猿まねをして栗を食べたという話が伝わっている。元城町東照宮には、徳川家康と木下藤吉郎がいる。