徳川家康で学ぶ科学・技術

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三公ゆかりの頭陀寺とウィンドファーム

今回は、秀吉、家康、井伊直政の3人のゆかりのお寺、頭陀寺と当時の天竜川河口付近について考えてみます。

頭陀寺

頭陀寺(ずだいじ)は、浜松市南区にある高野山真言宗の寺院で、浜松市で最古の寺と言われます。

 戦国時代には、今川氏の庇護で繁栄しました。松下屋敷を含めた地区は頭陀寺城と呼ばれました。松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が3年の間、奉公しました。また、徳川家康もこの地をしばしば訪れたといいます。井伊直政も、徳川家康に仕える前、松下家の養子になりました。秀吉、家康、井伊直政の3人のゆかりから、境内には三公の像があります。

ja.wikipedia.org

頭陀寺の門

 

 

三公の像

左から、秀吉(日吉丸)、家康、井伊直政(虎松)

頭陀寺の説明では、家康が竹千代時代に中村屋敷(雄踏町)から鷹狩に訪れたと伝えられたとありますが、竹千代時代には浜松とは関係がなく、中村屋敷は側室から生まれた次男秀康の保護をした場所です。

なお、家康の曳馬城入りの時、東区の妙恩寺、頭陀寺を経由したというのは、違和感はないです。

家康と鷹狩り

家康は、しばしば鷹狩りに外出しましたが、浜松から天竜川を渡り、中泉御殿から大池(現在のJR磐田駅の南)付近までは、鷹狩りの場として、さまざまな機会に好んで利用したようです。

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中泉御殿と陣屋

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JR浜松駅前のアクトタワー展望室から南東の天竜川の河口付近を望む(小さくウィンドファームの5つの風車が見える)。その中途に頭陀寺があります。

 

浜松市科学館に展示されている昔の天竜川河口付近。

天竜川河口付近(現在の浜松市南東部から磐田市南西部)、現在の馬込川水系に多数の複雑な流路が存在し、湿原のような様子だったことがわかります(天竜川の治水が本格的に行われるのは明治以降です)。このことから、家康の時代、この付近が鷹狩の対象となる水鳥(鴨など)が豊富に生息していた場所であることが想像されます。

ウィンドファーム

現在の天竜川河口にある磐田ウィンドファームの風車5基。

 

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