徳川家康が当初活動した三河から遠江の地域は、地史的にも興味深いところです。特に、変成岩の種類が興味深いです。
領家変成帯と三波川変成帯
現在は浜松市になっている天竜区水窪町奥領家は、領家変成帯と呼ばれる重要な変成帯の名称の起源になっています。これは、日本を東西に走る中央構造線の北側にあり、高温低圧で岩石が変成した場所です。ここでは、砂質・泥質片岩、珪質片岩、黒雲母片麻岩、珪質片麻岩や花崗岩が多く見られます。
一方、中央構造線の南側には、三波川変成帯(さんばがわへんせいたい)という変成帯が見られます。三波川変成帯では、緑色片岩、黒色片岩といった低温高圧型の変成岩が見られます。つまり、三波川変成帯では、緑色の岩がよく見られます。
この中央構造線の露頭は愛知県の東三河にある新城市の長篠でも見ることができます。
長篠露頭では、三波川変成帯の黒色片岩の上に領家変成帯の花崗岩源圧砕岩が乗っています。
長篠といえば、長篠・設楽ヶ原の戦いですが、武田四天王の一人で討ち死にした馬場信春の墓がこの露頭の近くにあります。
武田による長篠城(徳川側奥平氏)攻めでは、地下からの攻略を試みたものの、三波川変成帯のもろい岩石に拒まれて採掘を諦めたとの説があります。
遠江の三波川変成帯
遠江でも、浜松市の二俣など北部に行くと、三波川変成帯の変成岩を見ることができます。特に特徴的なのは、緑色の石や岩です。浜松の北部では、寺院や城跡などに行くと、そこにある石の中にも緑色のものがあります(苔の色ではなく石の色です)。これは、松平信康の供養碑がある清龍寺の近辺で見つけた緑色の石です。浜松の寺社でも、三波川変成帯のものと思われる緑色片岩をみかけます。
引用元:
https://www.pref.shizuoka.jp/kankyou/ka-020/kankyokyoiku/documents/p1_9_west.pdf