徳川家康で学ぶ科学・技術

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掛川で生まれた西郷の局(お愛の方)

掛川城、高天神城、横須賀城。掛川市は家康とも関係している3つの城で有名ですが、掛川の地は、徳川秀忠の生母として知られる西郷の局(お愛の方、宝台院) の生誕地であると伝わっています。

 

掛川の龍華院にある「西郷の局」の石碑

西郷の局

最初の側室であり次女督姫を生んだ「西郡の方」、結城秀康の生母である「小督局」、そして秀忠と忠吉の生母である「西郷の局」は、若いころの家康の側室として重要な存在です。

 

西郷の局(1552?-1589)というと、三河の有力な国人領主であった西郷氏(源姓土岐氏流三河西郷氏)の家系として知られ、源氏の血筋、三河との縁、その気立てなどから、浜松時代の家康に最も寵愛された側室として知られています。徳川秀忠と松平忠吉の生母です。

いうまでもなく、徳川秀忠は、江戸幕府第2代将軍。そして、松平忠吉は、井伊直政の娘婿として関ケ原の合戦で活躍し、その時の怪我で若くして死んでしまいましたが、後に御三家筆頭となる尾張国を最初に任されました。最も重要な側室の一人といって間違いないでしょう。

父は戸塚忠春、母は西郷氏(源姓土岐氏流三河西郷氏)で、西郷清員の養女という形で家康の側室になりました。戸塚忠春が掛川の上西郷の領主であったことから、この地で生まれたとされています。

File:Saigo-no-Tsubone2.JPG - Wikimedia Commons

 

掛川と西郷の局との関係については、この記事の後半が詳しいです。

浜松市の徳川秀忠の産湯の井。

東京にある天龍寺は法泉寺ゆかりの寺で、天竜川にちなんで名前が付けられたと

されています。


西郡の局

於古茶(おこちゃ)、於万の方、小督局とも。結城秀康の生母。