徳川家康に攻められた今川氏真が最後に朝比奈氏のもとで籠城した掛川城。
後に土佐藩主となる山内一豊が城主として10年間過ごし、戦後初の木造再建された天守で知られる掛川城。関ヶ原の戦いの前には、小山評定で山内一豊が掛川城を家康に提供するという発言をし、大きな影響があったと伝わっています。
掛川3城(高天神城、横須賀城、掛川城)、諏訪原城のなかでは、いわゆる天守のある「城」という姿が見られます。しばらく修復工事のため、天守がよく見れなかったのですが、最近になってようやく天守の姿だけは見ることができるようになっています。
子角山の龍華院(掛川古城がある)から見た掛川城の天守。今川氏真の掛川籠城に対する攻略では、徳川勢は子角山を拠点にしたと伝わっています。
龍華院の大猷院霊屋
掛川城主だった北条氏重が三代将軍徳川家光の霊を祀った霊廟です。
北条氏重は、保科正直の四男。母(多劫姫)は於大の方の娘ですので徳川家康の異父妹です。大岡忠相の外祖父。
大猷院霊屋の隣には、掛川生まれの徳川家康の側室・西郷の局(お愛の方)の記念碑が設置されています。徳川秀忠の生母である西郷の局は、徳川家光にとっては血のつながった祖母ということになります。
西郷の局が生まれたと伝わる上西郷の方向
早咲きの掛川桜
掛川城近くの風景から
大日本報徳社の建物
駅前の二宮尊徳像
掛川城から少し離れますが、JR掛川駅の南側にある掛川花鳥園