2005年までは、天竜市と呼ばれていた浜松市天竜区の天竜二俣地区。その前には二俣町と呼ばれていました。行政区画の名称や範囲が変更になると地域のアイデンティティを捉えるのがなかなか難しいところです。
ここにある二俣城(ふたまたじょう)は、天竜川と二俣川に挟まれた中世城郭で、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って攻防を繰り広げました。二俣城とともに、鳥羽山城も連携して利用されていたということですが、独立した城として存在しています。
二俣城の天守台
二俣城から鳥羽山城をみる
1572年10月、武田軍は徳川方の二俣城を攻撃したが、城兵は少ないものの攻略が難しかった。武田軍は、徳川方の城兵が天竜川の崖に櫓をつくって、滑車で水を得ていることに気づき、これを妨害する戦法を取りました。この井戸櫓は二俣城から清瀧寺へ移築されたと説明されています。清龍寺には、家康と築山殿の間に生まれた長男で、自刃したとされる松平信康の墓碑もあります。
清龍寺前の本田宗一郎ものづくり伝承館にあるポンポン。
天竜二俣の町並み。蔵が残る。また天竜浜名湖鉄道の施設に興味深いものがあります。
鳥羽山城
鳥羽山城には枯山水庭園がありました。
鳥羽山の展望台からは、遠州地方を広く見渡すことができます。こちらは磐田市側。
こちらは、浜松市側。遠くに小さくJR浜松駅前のアクトタワーが見えます。
鳥羽山の南にある田代家住宅
天竜川
鹿島の花火は3年連続で中止になっていますが、2023年は開催されるのでしょうか。