徳川家康で学ぶ科学・技術

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わかる浜松城(その2)鬼門と裏鬼門

引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。

はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出しています。


そこで大切なのは、浜松城の設計に関係のある神社が2つあります。

浜松城の鬼門(北東)の方角にある浜松八幡宮、裏鬼門(南西)の方角にある浜松秋葉神社

鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位・方角。日本では古来より鬼の出入り方角であるとして忌むべき方角とされています。反対の南西(坤・未申)の方角が裏鬼門(うらきもん)で、この方角も鬼門と同じように忌み嫌われます。科学的には全くナンセンスですが、中国の漢民族にとっては、北東から匈奴が襲い、南西から疾病がくるとされていたようです。

平安京では、鬼門の方向に比叡山延暦寺、裏鬼門に石清水八幡宮。江戸では江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺が、裏鬼門の方向に三縁山広度院増上寺があります。このように主要な施設には、それに関連した鬼門、裏鬼門のための神社仏閣が設置されていることが多いです。

浜松八幡宮

 

 

 

浜松秋葉神社

「井伊の赤備え」発祥の地、奥平信昌の屋敷跡として知られています。

 

長篠の戦い、家康と築山殿の間の娘である亀姫を正室にしたことで知られる奥平信昌の屋敷がここにあったということです。