茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男松平忠輝の生母です。名前がややこしいですが、家康の晩年、大阪城攻めの講和交渉など政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。浜松市東区中郡町には、家康が鷹狩りにでかけた時、お久を預けていた鈴木権右衛門家(旧鈴木家屋敷跡(万斛庄屋公園)、遠州鉄道西ヶ崎駅近く)があります。
浜松市東区にある万斛(まんごく)村の鈴木権右衛門は室町時代からの家柄で、家康が浜松城で遠江全域を支配する際に、代官になりました。万斛庄屋公園には、鈴木権右衛門の屋敷跡があり、最近整備され、レストランができたということです。
浜松・中郡町の万斛庄屋公園に古民家レストラン 家康ゆかりの地を憩いの場へ
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弓の練習場
鈴木家のお墓
近くにある甘露寺は、家康が訪れ、本堂前庭の古梅をほめたといいます。浜松生まれの国学者、歌人の賀茂真淵も1724年に観梅歌会を甘露寺で開きました。
いかばかり咲くやこの花ながめけむ 言葉の匂ひこれもえならぬ