徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

掛川城と十九首塚

今回は、最近、公開が再開された掛川城と周りの風景です。

前回は、こちら。

大手門

ここからの天守が一番美しいと言われているようです。

こういうところは意図的に残しているのでしょう

霧吹き井戸

駿府が武田信玄によって攻められたため、今川氏真は、朝比奈泰朝が城主だった掛川城へ逃げ込みます。遠江側から攻めた家康が攻撃をした際、この井戸から立ちこめた霧が城を覆い隠し、徳川軍は攻撃できなくなったといいます。掛川城は「雲霧城」とも言われます。

山内一豊

御殿

殿様行列

掛川城天守から北の方向(家康の側室で、二代将軍徳川秀忠の生母である西郷の局が生まれたという上西郷)

掛川城の外

十九首塚

十九首塚は、掛川城の横の堀、逆川を西にしばらく行くとあります。

東国で反乱を起こした平将門の一門19人が討伐され、その首を供養した塚と言われています。また、井伊直政の父親である井伊直親が、今川氏真の命を受けた掛川城主・朝比奈泰朝によって、19名の従者とともに殺害された場所とも伝わっています。

井伊直親 - Wikipedia

掛川城が見えます