徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

息神社とお万の方@宇布見

家康の側室お万の方が家康の第二子である結城秀康(於義丸)を産んだとされる宇布見(浜松市西区、JR舞阪駅の北1.5km)の中村家住宅。

中村家住宅には、胞衣塚や家康が植えたと伝えられる梅がありますが、その近くにあるのが息神社(おきじんじゃ)です。705年に勧請されたといわれるこの神社ですが、中村家とも関係が深い神社です。1501年、中村家14代の中村正實が社殿を再建、1586年には家康が本多作左衛門に命じて、社殿葺替えを行ったと記録されています。1586年といえば、小牧・長久手の戦いの後、結城秀康が秀吉のもとへ養子に出されたころです。家康が秀康の開運を祈願して息神社をその産土神に定めていたということです。

 家康とお万の方、結城秀康との関係は、その出生の経緯などから、微妙なものがあったと言われています。於愛の方との子である秀忠の産土神である五社神社(浜松城の中にあったとされる。現、浜松の五社・諏訪神社)と結城秀康の産土神との明確な違いを感じることができます。

中村家住宅

秀康の胞衣塚

息神社(おきじんじゃ)