徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

管楽器産業と家康

浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。

山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理を依頼されました。山葉はこの構造を模写し、1888年に日本最初のオルガンの製造に成功しました。これが、YAMAHAや浜松の楽器産業の始まりです。この地域は、ピアノだけでなく、各種の管楽器(ハーモニカ、フルート、トランペットなど)の生産量も全国一です。

また、この地方がピアノ産業に有利だったのは、遠州の北部から天竜川の水運で運ばれる「木材」と、冬季の乾燥した気候だったと言われています。天竜川河口の掛塚湊(磐田市)は、そのような場所で、木材を加工するための鍛冶などの金属加工の技術も発達しました。このような技術はピアノだけでなく、木や金属を使った他の楽器の製造にも利用されたのでしょうか。

家康の側室となる西郷局(お愛の方)の生母の再婚相手である服部正尚が、鋸鍛冶として掛塚に潜伏していたことが知られており、側室になる前のお愛もこの生母のもとにいたとされています。

YAMAHAのイノベーションロード

YAMAHAの出発点は浜松城にあった

 

浜松市楽器博物館