謀反を計画したために、大岡弥四郎(あるいは大賀弥四郎)は、岡崎の街の辻で土に埋められ、その首を通行人に竹鋸で引かれたとされます。その場所はどこだったのでしょうか?
現在は名鉄の東岡崎の駅が玄関になっています。
当時は浜松から来た場合、岡崎城下の27曲がりの東側あたりが、その外れになって、玄関のようになっていたものと想像されます。
これは岡崎27曲がりの西側の外れあたり。
岡崎城下の27曲がりの東側あたりには、信康の首塚といわれる若宮神社、築山殿の首塚が移された八柱神社があります。おそらく、この付近がそういう場所だったと想像します。
(岡崎城内の展示より)