三河を統一した家康が、武田との密約で遠江に侵攻した時に起こった堀川城に対する攻撃。それは、「男女ともになで斬りにしたりける」(三河物語)と伝えられ、徳川の「黒歴史」とも言われています。
気賀に行くと堀川城や獄門畷というものを見ることができます。遠州地方では、あちこちに家康に関連づけた広告が多いのですが、気賀という街は今でもそういう広告が少ないと感じます。
堀川城
堀川城の戦いで家康が住民を虐殺!? 気賀攻めは臨済宗の一揆を恐れたから? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
獄門畷
700人を斬首したという獄門畷
気賀の「みをつくし橋」
「みをつくし」(澪標)とは、灯台の役割と水の深浅の情報を持つ標識のことです。
気賀の関所