徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

築山の位置@岡崎

以前、築山御前が暮らしていたとされる築山の位置について、このようなブログを出しました。 それに対して、築山御前が暮らしていた築山は、築山稲荷大明神がある場所ではないか、という問い合わせがありました。 その経緯について、以下のような解説を見つ…

富士山と家康(その4)

富士山と家康(その4) 静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺、鉄舟寺。 富士山の景勝地として知られています。 もともとは、平安時代中期に久能寺として創建され、久能山の山頂にありました。1568年、駿河に侵攻した武田信玄によって、現在地に移されたと…

富士山と家康(その3)

富士山と家康。今回は日本平からの富士山です。 東照宮(家康の墓所)がある久能山は、久能寺や久能城があった場所です。 日本平は久能寺への参詣のための参道の一部であったと言われています。 展示は「日本平夢テラス」のものです。 御前崎の方向 ランキン…

富士山と家康(その2)

富士山と家康。清水港からの風景です。 山県昌景や穴山信君が城主をつとめた江尻城は、平城で、現在の江尻小学校の付近だったと言われています。海運にも関わっていたと言われますので、こんな風景だったのでしょうか。 ランキング参加中日本史 ランキング参…

高天神城(その9)

高天神城の周りの風景。 千人塚と大東北公民館。 千人塚 天正9(1581)年3月高天神落城時の戦死者多数を埋葬した場所 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康

高天神城(その8)

高天神城(その8)。山城から降りていきます。 そして、南口から北口に歩いてみました。 姫路城などと違う戦国の要塞であった高天神城を現在でも感じることができました。 山の上は、広葉樹林ですが、下に降りていくと、杉の植林になります。 こんな季節で…

高天神城(その7)

高天神城(その7)は、元天神社と三の丸跡。 元天神社は、ここに天神宮ので「高天神城」と呼ばれるようになったようです。その後、西の丸にある高天神社の位置に移ったということです。 ja.wikipedia.org ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴…

高天神城(その6)

高天神城(その6)は、珪化木と高天神城の砦。 珪化木(けいかぼく) 松幹化石(樹幹化石)と書かれていますが、柵の後ろにある右側の切株のように見えるのが、珪化木です。詳しくは、wikipediaなどで。 高天神六砦 ランキング参加中日本史 ランキング参加…

高天神城(その5)

高天神城。大河内政局幽閉の石窟まで。 大河内源三郎政局は徳川家康の祖母である華陽院の甥です。駿河での徳川家康の竹千代時代、華陽院とともに大河内政局は付き添っていたとされます。1574年の第一次高天神城の戦いでは、軍目付(いくさめつけ)でした。こ…

高天神城(その4)

高天神城、まだ続きます。 この山の中の空堀、切割(堀切)、曲輪が、戦国の要塞という感じです。この辺は、写真ではわかりにくいです。夏場は、暑く、草に覆われ、虫や蛇などもいて山城の見学には適さないので、冬の風景です。 ランキング参加中徳川家康 ラ…

高天神城(その3)

高天神城(その3)、馬場平の続きです。 横田甚五郎尹松(ただまつ)という武将。後に、関ヶ原の戦いや大坂夏の陣にも参陣することになります。 甚五郎抜け道。「天正九年三月落城の時、二十三日早朝、軍監横田甚五郎尹松は本国の武田勝頼に落城の模様を報…

高天神城(その2)

高天神城(その2)は、高天神社(西の丸跡)から馬場平。 当時はすぐ下まで海だったということです。 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中ブログ仲間増やしたい方全員集合!✨ 初心者も上級者も誰でも参加OK! ランキング参加中日本史 ランキング参加…

高天神城(その1)

高天神城については、既に何回か取り上げましたが、もっと見せます。 高天神城(その1)は、搦手門(からめてもん)から登り切るまでです。 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中ブログ仲間増やしたい方全員集合!✨ 初心者も上級者も誰でも参加OK! …

秀吉の浜松での足跡

家康の後半の人生で対峙する豊臣秀吉(日吉丸、木下藤吉郎)。若いころに、3年間ほど、浜松に滞在していたとされます。浜松城の前身となった引間城跡(曳馬城跡)にある元城東照宮には、猿真似をして栗を食べたということで、日吉丸・藤吉郎の像が家康像とと…

築山殿と信康まとめ(その3)

今回は、信康の終焉の地、二俣城付近の写真紀行です。 浜松市天竜区 二俣城 清龍寺付近 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中【公式】2023年開設ブログ

築山殿と信康まとめ(その1)

今回は、築山殿と松平信康が関係する場所をまとめてみました。 (その2)(その3)は、終焉の地の写真紀行です。 築山殿の供養塔 築山殿と家康が結婚したのは、駿府の今川氏のもとでした。 そして、今川家の中で政治や外交にも手腕を発揮していた女性、寿…

菅生神社と家康の厄年

菅生神社(すごうじんじゃ)は、岡崎城のすぐ東にある神社です。日本武尊が東国平定のために菅生の地を通過した際、勧請したということで、岡崎市では最古の神社とも言われています。こちらでも新田白山神社とともに、家康25才厄年の祈祷を行ったようです。 …

家康の白山信仰と新田白山神社@岡崎

新田白山神社は、岡崎城のすぐ西側にある小さな神社です。 たくさんの寺社を焼き討ちした織田信長の白山信仰というのは有名ですが、徳川家康と白山信仰の関係はあまり知られていないと思います。ところが、「家康は豊臣秀吉に臣従する天正14年(1586)までの…

小牧山

小牧山の風景です。

西郷局(お愛の方)まとめ

西郷局(お愛の方)まとめです。 美人で温和誠実な人柄であり、旦那が戦死した苦労人。家康の信頼が厚く、家臣や侍女達にも好かれていたといいます。二代将軍秀忠の生母であり、後に御三家筆頭となる尾張国を最初にまかされた松平忠吉の生母です。 掛川城天…

西郷局が開いた心造寺

1579年に長丸(秀忠)が生まれると、1580年に秀忠の産土神(うぶすながみ)として浜松城内にあった五社神社が、現在、五社・諏訪神社のある場所に移されました。そのすぐ北側に西郷局が開いたのが先照山心造寺(しんぞうじ)です。 西郷局が奉納した鉄灯篭が…

長篠城まとめ(その2)

長篠城まとめ(その2)です。まとめ(その1)はこちら。 ↑上の写真の拡大 ↑上の写真の拡大 鳥居強右衛門(とりい すねえもん)の墓 JR飯田線の「鳥居」駅 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中【…

中泉歴史公園と秋鹿氏@磐田

戦国時代の終わりから、江戸時代の始めにかけて、関ヶ原の戦い、大坂の陣、朝廷との関係など、日本史上の重要な出来事が起こります。こういうことについての相談(政治)というのは、江戸城や京の伏見城、二条城あたりでなされていたというイメージがありま…

遠江の家康ゆかりの地ベスト10(パート1)

遠江の家康ゆかりの地ベスト10ということで、まとめてみたいと思います。 JR東海の列車でもこんな吊り広告を見かけます。 高天神城 これからの夏の季節、山城の見学はかなり厳しいものがあります。 暑さ、蚊や蜂や蛇の出現、草で地面が見にくく堀などがわか…

見付の未完成城石垣と福王寺@磐田

徳川家康が築城を試みた見付の未完成城(城之崎城、現在の磐田市城山球場)の南西にあるのが、福王寺です。 平安時代の有名な陰陽師である安倍晴明がここで祈祷をして暴風を鎮めたことから、山号を風祭山といい、晴明大権現があります。また、駿河今川家の初…

大岡弥四郎はどこで?@岡崎

謀反を計画したために、大岡弥四郎(あるいは大賀弥四郎)は、岡崎の街の辻で土に埋められ、その首を通行人に竹鋸で引かれたとされます。その場所はどこだったのでしょうか? 現在は名鉄の東岡崎の駅が玄関になっています。 当時は浜松から来た場合、岡崎城…

管楽器産業と家康

浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。 山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理…

各地の家康像

いろいろな場所にある家康像を集めてみました。 どこにあるのか、わかりますか? ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康

三方ヶ原の戦いアップデート

三方ヶ原の戦いまとめです。 JR浜松駅前のアクトタワー展望回廊 三方原の戦いの様子を実感するには、JR浜松駅前のアクトタワーの展望回廊に行くのがよいと思います。展望回廊は、オークラアクトシティホテル浜松のロビーのエレベーターを利用することで行く…

長篠城まとめ

長篠城まとめです。