1283年ころに成立したという阿仏尼の紀行文 「十六夜日記」には、見付(磐田)の国府に泊まった時の印象として、このようなことが書かれています。
荒れていて、怖いところであったと。。
こよひはとほつあふみみつけのこふといふ所にとゞまる。里あれて物おそろし。かたはらに水の井あり。
たれかきてみつけの里と聞からにいとゞ旅ねぞ空恐ろしき
阿仏尼が見付を通過したのと同じころ、踊り念仏で遊行していた時宗の開祖である一遍が同地に留まったと言われています。その結果、磐田市には、時宗の大きな寺院がいくつかできています。とりわけ、現在でも残っている行興寺、西光寺、省光寺の3つの寺院は、徳川家康を含め日本史の重要人物とも関わる名刹です。
- 徳川家康ゆかりの池田の渡しと平宗盛(平清盛の子)ゆかりの行興寺の池
- 徳川家康の孫である東福門院(後水尾天皇中宮、明正天皇生母)ゆかりの西光寺
- 足利尊氏の念持仏と省光寺
関係ないですが、源頼朝ゆかりの場所も磐田市内にあります。
行興寺(熊野の長藤)
徳川家康と池田渡船伝説&行興寺
西光寺
中泉御殿の表門を移設したという門
省光寺と足利尊氏の念持仏
磐田市富士見町に残る足利尊氏の念持仏の地蔵跡