徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

松平広忠(家康父)と掛塚@磐田

天竜川の河口にある磐田市掛塚は天竜川を使い遠州北部からの材木を集め、遠州の湊として利用されていました。また、材木加工のために、のこぎり鍛冶が盛んでした。

家康の側室となるお愛の方(西郷局)の実母の再嫁先の服部正尚が鍛冶として掛塚に潜伏していて、家康とお愛の方がそこで会ったという説があったりします。また、今川氏真が掛川城から小田原の北条氏のもとに移動した時にこの湊を利用したことなどが知られています。

実は、家康の父親である松平広忠(1526-1549)が、掛塚に滞在していたことがあります。

1535年12月、広忠は、桜井信定により岡崎城から追放されました。そして、阿部定吉ら数名の家臣と伊勢国神戸に逃れ、1536年3月まで滞在しました。その後、船で伊勢から遠江掛塚に移り、掛塚・十郎島の鍛冶五郎という職人のもとに1536年夏まで滞在し、今川義元の支援を受け、三河に戻ったということです。9才から10才の少年の数ヶ月ということでしょうか。

ちなみに、家康が生まれるのは、1543年。

現在の十郎島付近の風景(橋は、国道150号線)