西郷局
西郷局(お愛の方)まとめです。 美人で温和誠実な人柄であり、旦那が戦死した苦労人。家康の信頼が厚く、家臣や侍女達にも好かれていたといいます。二代将軍秀忠の生母であり、後に御三家筆頭となる尾張国を最初にまかされた松平忠吉の生母です。 掛川城天…
徳川家康には、11男5女がいたと一般には言われています。 そのうち、西郷局との子である秀忠は将軍家、そして3人の男子が御三家となり重要な存在になります。御三家の子どもたちは、家康晩年の子供ですので、その子供(家康の孫)と接することもなかったも…
徳川家康の子供というと、正妻の築山殿との間にできた信康と亀姫のほかに、20人ほどの側室との子供が多くいます。 確実に存在していたものの、早逝した子供もいれば、信康に代表されるように様々な理由で消えてしまった子供もいますが、伝説として知られる子…
浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。 山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理…
家康の側室お万の方が家康の第二子である結城秀康(於義丸)を産んだとされる宇布見(浜松市西区、JR舞阪駅の北1.5km)の中村家住宅。 中村家住宅には、胞衣塚や家康が植えたと伝えられる梅がありますが、その近くにあるのが息神社(おきじんじゃ)です。705…
今回は、最近、公開が再開された掛川城と周りの風景です。 前回は、こちら。 大手門 ここからの天守が一番美しいと言われているようです。 こういうところは意図的に残しているのでしょう 霧吹き井戸 駿府が武田信玄によって攻められたため、今川氏真は、朝…
江戸幕府の二代将軍となった秀忠の生母として知られるお愛の方(西郷局)。 姉川(1570)、三方原(1572)、長篠(1575)、信康・築山殿処分、本能寺と伊賀越(1582)、天正壬午の乱、小牧長久手(1584)までの浜松時代(1570-1586)に家康を支えた、掛川生まれとされる…
徳川家康に攻められた今川氏真が最後に朝比奈氏のもとで籠城した掛川城。 後に土佐藩主となる山内一豊が城主として10年間過ごし、戦後初の木造再建された天守で知られる掛川城。関ヶ原の戦いの前には、小山評定で山内一豊が掛川城を家康に提供するという発言…
徳川家康の側室のうち、政治外交的な役割をした阿茶局などに対して、西郷局(お愛の方)、養珠院(お万の方)、相応院(お亀の方)は、二代将軍の秀忠、御三家の当主の生母として重要な存在になっています。 西郷の局 二代将軍である徳川秀忠は掛川出身の西…
明大寺町西郷中 愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」…
掛川城、高天神城、横須賀城。掛川市は家康とも関係している3つの城で有名ですが、掛川の地は、徳川秀忠の生母として知られる西郷の局(お愛の方、宝台院) の生誕地であると伝わっています。 掛川の龍華院にある「西郷の局」の石碑 西郷の局 最初の側室であり…
胎盤、胞衣、母衣とは 胎盤(たいばん)って、知っているようでよく知らない人が多いです。 クイズです。胎盤の組織の細胞が持っている遺伝子は誰のものでしょうか? 母親 胎児 母親と胎児の両方 中世においては、胞衣(えな)を埋める場所の習俗が東西では…