徳川家康で学ぶ科学・技術

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岡崎の「明大寺町西郷中」と「築山」という場所

明大寺町西郷中

愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」です。

家康の祖父である清康の時代には、岡崎城というのは、明大寺という場所にあったとされています。つまり、乙川の南側の台地にあったということになります。この地は、15世紀中頃、源氏の流れをくむ三河西郷氏の西郷頼嗣が居城を作った場所だといいます(現在、ペデストリアンデッキがあるところという説があるようです)。つまり、「岡崎市明大寺町西郷中」は、岡崎城があった西郷氏の住んでいたところということなのかもしれません。三河国守護代であった西郷氏は、家康の側室として、徳川秀忠の生母となる「西郷の局(お愛の方)」とも関係しています。

 

 

築山

さて、家康の正室であった築山御前が住んでいたとされる場所は「築山」と呼ばれる場所だったと言われます。この場所がどんなところだったか知ることで、家康と築山御前の関係も見えてくるかもしれません。

真相はこの記事に詳しいと思われます。

これによると、築山の位置は、現在の「岡崎康生郵便局」があったところ。

名鉄の東岡崎駅から北に乙川(おとがわ)を渡ったところにある場所です。

岡崎城からは、東に徒歩で10分ほどのところです。しかも、由緒ある惣持尼寺総持尼寺、総持寺)の近くであったといいます。


なお、岡崎城から東に2kmほど行ったところに、築山稲荷大明神があります。これは、後の時代に移動した場所であるということです。

https://www.city.okazaki.lg.jp/1300/1304/1332/p011770_d/fil/okj-02syou01.pdf

岡崎城天守からの岡崎市の風景