徳川家康で学ぶ科学・技術

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松平8代(その4)広忠と清康@大林寺

家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。

 

8代 広忠

松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林寺は、現在の岡崎城のすぐ北側にあるお寺です。

乙川の南にあった岡崎城(明大寺旧城)は、家康の祖父、広忠の父である松平清康(安城松平家)の侵攻前には、大草松平家の松平光重が主(ぬし)でした。大林寺(だいりんじ)は、1493年、松平光重が明大寺に創建し、当初は光林寺と称されていました。1530年、松平清康の命で現在の岡崎城の北に移転したということです。


1535年12月、清康は尾張の守山城で変死し(森山崩れ)、遺骸は随念寺(岡崎)で荼毘にふされました。清康の夫人春姫は尼となり、1548年2月、大林寺で没しました。1549年、清康の子松平広忠も若くして亡くなりました。病死であったとも、暗殺されたとも言われています。こうして、清康、広忠、春姫の墓が大林寺に置かれています。

 

大樹寺の清康(左)と広忠(右)の供養塔

松平8代の供養塔のなかで、広忠の供養塔だけが五輪塔ではなく丸い石塔(無縫塔)なのは、生前に出家したことを示すといいます。無縫塔は、通常、寺の住職などの墓に使われる塔です。

 

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