徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

岡崎

家康伊賀越え三河上陸の地

家康の最大の危機とも言われる神君伊賀越え。 宇治田原(甲賀)あるいは大和路経由で伊賀を通過し、伊勢の白子から三河に戻ったと言われています。伊賀越えの部分がよく話題になる一方で、伊勢から三河に戻るところはあまり描かれることがないと思います。 …

伊賀八幡宮の夏

岡崎の伊賀八幡宮については冬の様子を伝えています。 しかし、伊賀八幡宮の見どころは、夏のハスです。 泥の中から美しく咲く蓮の花は、「厭離穢土欣求浄土」「戦で穢れた乱世を平和な極楽浄土へ変えよう」という家康公が旗印に掲げた願いに重なります。 伊…

築山稲荷@岡崎

築山稲荷@岡崎です。 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康

築山の位置@岡崎

以前、築山御前が暮らしていたとされる築山の位置について、このようなブログを出しました。 それに対して、築山御前が暮らしていた築山は、築山稲荷大明神がある場所ではないか、という問い合わせがありました。 その経緯について、以下のような解説を見つ…

築山殿と信康まとめ(その2)

築山殿の終焉の地の写真紀行です。 佐鳴湖 佐鳴湖の北側の風景。以前は水質汚染の激しい湖とされていましたが、最近は改善されているようです。この湖は浜名湖ともつながっていて、ボラ、スズキ、クロダイといった海の魚も見られます。 現在、工事中の太刀洗…

築山殿と信康まとめ(その1)

今回は、築山殿と松平信康が関係する場所をまとめてみました。 (その2)(その3)は、終焉の地の写真紀行です。 築山殿の供養塔 築山殿と家康が結婚したのは、駿府の今川氏のもとでした。 そして、今川家の中で政治や外交にも手腕を発揮していた女性、寿…

菅生神社と家康の厄年

菅生神社(すごうじんじゃ)は、岡崎城のすぐ東にある神社です。日本武尊が東国平定のために菅生の地を通過した際、勧請したということで、岡崎市では最古の神社とも言われています。こちらでも新田白山神社とともに、家康25才厄年の祈祷を行ったようです。 …

家康の白山信仰と新田白山神社@岡崎

新田白山神社は、岡崎城のすぐ西側にある小さな神社です。 たくさんの寺社を焼き討ちした織田信長の白山信仰というのは有名ですが、徳川家康と白山信仰の関係はあまり知られていないと思います。ところが、「家康は豊臣秀吉に臣従する天正14年(1586)までの…

楞厳寺と水野信元@刈谷

楞厳寺(りょうごんじ)は、愛知県刈谷市にある曹洞宗の寺院。1413年、遠江国浜松の普済寺の利山義聡によって創建。刈谷城主である水野家の菩提寺で、境内には水野家廟所があります。 於大の方の兄であり、家康の叔父にあたる水野信元は、1576年1月、武田勝…

長篠城まとめ(その2)

長篠城まとめ(その2)です。まとめ(その1)はこちら。 ↑上の写真の拡大 ↑上の写真の拡大 鳥居強右衛門(とりい すねえもん)の墓 JR飯田線の「鳥居」駅 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中【…

松平広忠(家康父)と掛塚@磐田

天竜川の河口にある磐田市掛塚は天竜川を使い遠州北部からの材木を集め、遠州の湊として利用されていました。また、材木加工のために、のこぎり鍛冶が盛んでした。 家康の側室となるお愛の方(西郷局)の実母の再嫁先の服部正尚が鍛冶として掛塚に潜伏してい…

家康の3姉妹:亀姫、督姫、振姫

徳川家康は1570年に浜松城を築城し、1587年初頭に駿府に移動するまで、29歳から45歳まで17年間、浜松を拠点として過ごしました。 家康の娘では、亀姫(1560-1625、正妻の築山殿との娘)、督姫(1565あるいは1575-1615、側室の西郡局との娘)、振姫(正清院)…

大岡弥四郎はどこで?@岡崎

謀反を計画したために、大岡弥四郎(あるいは大賀弥四郎)は、岡崎の街の辻で土に埋められ、その首を通行人に竹鋸で引かれたとされます。その場所はどこだったのでしょうか? 現在は名鉄の東岡崎の駅が玄関になっています。 当時は浜松から来た場合、岡崎城…

戦国時代の「姫街道」

現在、岡崎から浜松、見付(磐田)に行く場合は、東海道が基本になっていますので、吉田(豊橋)から新居、弁天島、舞阪を通って、浜名湖を渡る経路を思い浮かべると思います。JRの東海道本線、東海道新幹線、バイパスでわかりにくくなりましたが国道1号線…

三河一向一揆和議の地:浄珠院

浄珠院には、1563年から64年の三河一向一揆の時、家康の本陣が置かれ、制圧のため、自ら指揮をとりました。激しい戦の後、一揆方から提案された和議の案がここで成立しました。 JR岡崎駅近くにあるイチョウの木が印象的な寺院です。 ランキング参加中日本史 …

各地の家康像

いろいろな場所にある家康像を集めてみました。 どこにあるのか、わかりますか? ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康

田原城とヒポクラテス

渥美半島の田原市にある田原城は、当初、戸田氏の渥美半島支配の拠点でした。 1547年、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河に送られることになっていた竹千代(家康)を護送する予定でしたが、寝返って織田信秀に渡したとされます。その結果、田原…

伊奈城と「三つ葉葵」発祥の地

豊川市にある伊奈城跡と花ケ池は、三つ葉葵の紋の発祥の地とされています。 伊奈城跡 土塁 フタバアオイ 花ケ池公園 伊奈城跡の少し北側、東海道新幹線の横にある花ケ池公園。 暗くなっているところは、東海道新幹線の土塁です。 東漸寺 伊奈本多氏の菩提寺…

上ノ郷城@蒲郡(その1)

愛知県の三河湾の海岸沿いにある蒲郡(がまごおり)。 そこにある上ノ郷城は、鵜殿氏が本拠地としていた城ですが、家康が忍者を使って陥落させ、その後、家康の生母の於大の方の再婚相手である久松俊勝の居城となりました。1590年家康の関東移封により、廃城…

徳川家康の正室と側室

徳川家康の正室(正妻)と側室(別妻)の一部について、まとめておきます。 西郡局と西郷局、茶阿局と阿茶局、2人いる「お万の方」など、紛らわしいところに注意したいところです。 築山御前(瀬名姫)と駿河御前(旭姫、朝日姫):2人の正室 西郡局:最初…

徳川四天王の石像@岡崎

岡崎市にある徳川四天王の石像です。名鉄・東岡崎駅から桜城橋を渡っていったところにあります。 徳川四天王 - Wikipedia Q.桜城橋完成・徳川四天王像披露式典を開催します。 | 岡崎市ホームページ 本多忠勝 @岡崎城 酒井忠次 井伊直政 榊原康政 ランキング…

伊賀八幡宮で戦勝祈願

家康は、戦の前には伊賀八幡宮で戦勝祈願したといわれます。 伊賀八幡宮は、1470年、松平4代の松平親忠が、松平氏の氏神として社を伊賀国より現在の地に移したことで始まったとされます。慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われ、家光が社殿を拡張し…

三大東照宮の滝山東照宮

全国に130ほどあると言われる東照宮のうちでも、三大東照宮といわれるものがあります。久能山東照宮と日光東照宮は特別として、しばしば三大東照宮の一つと言われるのが、岡崎の滝山東照宮です。 東照宮 - Wikipedia 滝山東照宮(たきさん とうしょうぐう)…

人質交換の地@笠寺観音

竹千代は、熱田神宮、七里の渡し付近で人質生活を過ごしたとされています。 竹千代と、今川に囚われた織田信長の兄である信広が人質交換された場所とされる碑が、名古屋市の笠寺観音(笠覆寺、りゅうふくじ)にあります。 笠寺観音(かさでらかんのん) 宮本…

松平8代(その6)大樹寺

大樹寺(だいじゅじ / だいじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 松平4代の親忠により、1475年に創建されたと伝えられています。 多宝塔は、松平清康の時代、1535年にできたとされ、大樹寺では現存する最も古い建物です。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代…

松平8代(その5)松應寺横丁

岡崎城の北側に少し歩いたところにある松應寺(しょうおうじ)は、家康の父である松平広忠の廟所や松應寺横丁で知られています。小さいけれども印象深い浄土宗のお寺です。 1549年に広忠の菩提を弔うため、1560年に家康が創建したということです。松を見て家…

松平8代(その4)広忠と清康@大林寺

家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。 8代 広忠 松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林…

松平8代(その3)白土塀の随念寺

家康の祖父である松平清康は尾張の守山城で変死し(森山崩れ、守山崩れ)、遺骸は岡崎市中央部にある随念寺で荼毘にふされました。墓所は岡崎城の北側にある大林寺、そして松平家の菩提寺である大樹寺にあります。 7代 清康 安祥松平家の3代。安祥城城主およ…

松平8代(その2)安祥

安祥城(安城城)は、松平氏が居城とした平山城で、松平3代から7代が利用しました。それぞれの関わりは以下のようになります。 3代 信光岩津を拠点にした信光は、応仁の乱中には安祥(安城)、岡崎を攻略し、松平氏発展の基礎を固めました。 松平信光 - Wiki…

松平8代(その1)岩津

徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。 今…