徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

岡崎

信康の供養塔@浜松、岡崎、清水

徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…

築山と築山殿の墓碑を訪ねて@岡崎&浜松

岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれる家康の最初の正妻。 今回は築山殿についてまとめてみたいと思います。 File:築山殿.jpg - Wikimedia Commons 岡崎市の築山 「築山」があったとされる岡崎市の康生郵便局の近辺の風景です。籠田公園の南…

家康ゆかりの法蔵寺と近藤勇、冨田勲

法蔵寺は、岡崎市本宿にある浄土宗のお寺です。岡崎市内にありますが、名鉄の電車で東岡崎駅から5駅行ったところにあるので、岡崎城などの観光スポットからは外れています。 本宿は、東海道53次の赤坂宿と藤川宿の間にある場所で、柴田勝家の子孫の命により…

知立神社と側室お万の方

家康の側室で「お万の方」と呼ばれる側室は2名います。 一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、日蓮宗に帰依した養珠院と呼ばれる人物です。 もうひとりの「お万の方」は、長勝院(ち…

三河一向一揆(その4)吉良氏の里

1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…

三河一向一揆(その3)JR岡崎駅かいわい

岡崎の玄関というと、どうしても岡崎城に近く、活気のある名鉄「東岡崎」駅になってしまいますが、JR東海道線の「岡崎」駅にも「松平元康像」があります。そして、JR岡崎駅の界隈は、三河一向一揆の拠点となった地域でした。名鉄「東岡崎」からJR岡崎駅とい…

三河一向一揆(その2)JR西岡崎駅かいわい

三河には、親鸞がひらいた浄土真宗(一向宗)の門徒が多いとされています。そのきっかけとなったのが、親鸞が東国布教からの帰京の途中、この地に立ち寄り、妙源寺で説法を行ったことだと言われています。妙源寺は、JR西岡崎駅のすぐ北にあります。 また、JR…

三河一向一揆(その1)本證寺

三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在…

於大の方ゆかりの刈谷、東浦、境川

刈谷市と東浦町は、徳川家康の生母である於大の方ゆかりの地。於大ゆかりのとても立派な施設があることに驚きます。また、刈谷と東浦町の間にあるのが、境川。三河と尾張の国境にある河川です。したがって、刈谷市は三河に、東浦町は尾張にあるということに…

徳川家康と東海道三大グルメ

江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…

徳川家康の2正室の墓@静岡県

徳川家康の正室、2人の女性はそれぞれ戦国時代に人生を翻弄されました。 築山御前 佐鳴湖(@浜松市)の湖畔に散ったとされる築山殿。遺体は浜松市中区広沢の西来院(曹洞宗)に葬られました。首塚は、岡崎市の祐傳寺(後に八柱神社に移された)にあります。…

佐鳴湖と築山殿、そして松平康俊

徳川家康の正室であった築山殿は、1579年、浜松の西側にある佐鳴湖を渡った湖畔で命を落としたとされています。 現在、浜松医療センター前の太刀洗の池は見ることができなくなっています。 佐鳴湖の北東の風景。 陸に閉ざされた湖のようにみえる佐鳴湖には浜…

岡崎の「明大寺町西郷中」と「築山」という場所

明大寺町西郷中 愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」…

掛川で生まれた西郷の局(お愛の方)

掛川城、高天神城、横須賀城。掛川市は家康とも関係している3つの城で有名ですが、掛川の地は、徳川秀忠の生母として知られる西郷の局(お愛の方、宝台院) の生誕地であると伝わっています。 掛川の龍華院にある「西郷の局」の石碑 西郷の局 最初の側室であり…

徳川家康の好物?

徳川家康が健康に関心が高く、食べ物にも気をつかっていたことはよく知られています。 よく言われるのは、粗食、晩年は天ぷらとも言われ、鯛の天ぷらが死因だったという話は有名です(おそらく直接の死因ではない)。今では、日本料理として認識される天ぷら…

長久手古戦場駅とリニモ

名古屋近郊にジブリパークができて、日本唯一のリニアモータカーの営業線の愛知高速交通の東部丘陵線リニモ(名古屋市名東区の藤が丘駅から愛知県豊田市の八草駅)の注目が再び集まっています。 長久手古戦場駅は、その途中にある駅です。駅前には、イオンの…

小牧山からの眺め

信長が美濃攻略の拠点とし、家康が秀吉との対峙に利用した小牧山城。 この城がなぜ利用されたのか、実際にその地に行くと実感することができます。 「公の天下を取る、大坂に在らずして関ヶ原にあり、関ヶ原に在らずして、小牧にあり」 頼山陽『日本外史』 j…

伝・家康しかみ像を集める

この絵はあまりに有名ですが、「徳川家康三方ヶ原しかみ像」というのは「脱糞」や「人の一生は重荷を負うて」とともに、史実としては否定されているというのが常識になっています。 実物は名古屋の徳川美術館にあるということですが、見たことがありません。…

大樹寺から岡崎城を望む

大樹寺(だいじゅじ、または、だいじゅうじ)は、愛知県岡崎市にある浄土宗の寺院。 松平氏、徳川氏の菩提寺であり、松平氏の歴代当主の墓や歴代将軍の位牌を安置しています。 多宝塔:天文4年(1535年)、松平清康(家康の祖父)によって建立。他の建物は火…

胞衣塚(えなづか)、母衣(ほろ)、産湯井(うぶゆのい)

胎盤、胞衣、母衣とは 胎盤(たいばん)って、知っているようでよく知らない人が多いです。 クイズです。胎盤の組織の細胞が持っている遺伝子は誰のものでしょうか? 母親 胎児 母親と胎児の両方 中世においては、胞衣(えな)を埋める場所の習俗が東西では…