刈谷市と東浦町は、徳川家康の生母である於大の方ゆかりの地。於大ゆかりのとても立派な施設があることに驚きます。また、刈谷と東浦町の間にあるのが、境川。三河と尾張の国境にある河川です。したがって、刈谷市は三河に、東浦町は尾張にあるということになります。この場所に拠点があったのが、水野氏です。三河と尾張の国境にあって、微妙な立場にあったことが想像されます。
於大の方は、1528年、尾張国知多郡の水野忠政とその妻・華陽院(於富)の間に、緒川城(愛知県知多郡東浦町)で生まれました。関ヶ原の戦いの後、1602年に京都の伏見城で没して、墓所は江戸に作られました。
刈谷市歴史博物館
まずは、刈谷市歴史博物館。人口15万人ほどの刈谷市の規模としては、非常に立派な歴史博物館です。於大の方、水野氏、刈谷城、豊田佐吉なども含めて紹介されています。
椎の木屋敷跡
椎の木屋敷は徳川家康の母である於大の方が、岡崎の松平広忠に離縁されて水野家に戻されていた時、住んでいたといわれる場所です。
楞厳寺(りょうごんじ)
水野家の菩提寺となっており、於大の方の兄にあたる水野信元の墓もあります。水野信元は、1577年、信長の命を受けた家康によって大樹寺において殺害されたと伝わっています。
於大の方は、竹千代(後の徳川家康)を残して、離縁し戻された後、阿久比(あぐい)の久松家に再嫁するまでの間、楞厳寺に参拝し、調度品を残しています。
楞厳寺(りょうごんじ)の立派な境内
水野信元の墓
刈谷市歴史博物館の於大の方の調度品の複製
東浦町の於大公園
東浦町は人口5万人の地方自治体です。於大の方は東浦町にある緒川城で生まれました。
その町役場の近くにある於大公園という於大の名前を冠した公園。広く立派な公園です。
乾坤院
水野氏の菩提寺です。
刈谷城址
境川
境川とは、三河と尾張の国境です。