徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

天竜川

家康と岩水寺の御神木@浜松

岩水寺は、浜松市浜北区にある高野山真言宗別格本山の寺院です。 こちらにも徳川家康が、三方原合戦のおり、逃げ込んだという大木が伝わっています。 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康

築山殿と信康まとめ(その3)

今回は、信康の終焉の地、二俣城付近の写真紀行です。 浜松市天竜区 二俣城 清龍寺付近 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康 ランキング参加中【公式】2023年開設ブログ

池田輝政ゆかりの国清寺@掛塚@磐田

磐田市掛塚の国清寺は、浄土宗の寺院。開山の源誉大僧正は家康と親交があったとされています。国清寺の創建は1615年と伝わりますが、それ以前には存在していたということです。 開基の松山家が池田輝政と姻戚関係があったことから、池田輝政の法名(国清院)…

貴船神社の東照宮@掛塚@磐田

貴船神社(きぶねじんじゃ)は、磐田市掛塚にある神社。天竜川流域には貴船神社が多いため、掛塚貴船神社と呼ばれます。天竜川河口の掛塚湊の鎮守とされていました。ここには、東照宮があります。 東照宮 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史…

管楽器産業と家康

浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。 山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理…

横須賀城と旧見付学校

横須賀城は、家康が高天神城攻めの拠点として作った城です。江戸時代になっても、横須賀藩の城として利用され続けた城でした。 明治時代になると、現在の磐田市にある見付学校の建設のために、横須賀城から払い下げを受けた石垣が利用されました。 土台とな…

一言坂の戦いの一言と脱糞

一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい)は、三方ヶ原の戦いの前哨戦、徳川側撤退戦としては、最も有名な戦いです。一言坂は、磐田原台地の西側、天竜川の東にあります。 「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」が有名です。 また、しばしば話題…

磐田・見付の未完成城

先日放送されたNHKの「英雄たちの選択」で家康による見付(磐田市)での築城の試みが大きく取り上げられていました。 「英雄たちの選択」、これほど幻となった家康の見付城を取り上げてくださった番組はなかったと思います。見付城はいまは城山球場で、その…

お愛の方と家康の馴れ初めはどこ?

江戸幕府の二代将軍となった秀忠の生母として知られるお愛の方(西郷局)。 姉川(1570)、三方原(1572)、長篠(1575)、信康・築山殿処分、本能寺と伊賀越(1582)、天正壬午の乱、小牧長久手(1584)までの浜松時代(1570-1586)に家康を支えた、掛川生まれとされる…

信康の供養塔@浜松、岡崎、清水

徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…

横須賀城と遠州灘

徳川家康が高天神城攻めのために作らせたという横須賀城。 この城は、平城で、明治維新まで使われていた城です。 天竜川より運んだという玉石垣を用いた築城に特徴があります。 この城のすぐ南は遠州灘。遠州灘は太平洋そのもので外海なので波も常に高く、南…

徳川家康と3河川

徳川家康にも関わりの深い天竜川、大井川、安倍川の3つの河川の風景です。 天竜川:池田の渡し 三方ヶ原の戦いの前の武田方との攻防では重要な意味を持った天竜川。東海道も姫街道もここは共通の池田の渡し。有名な熊野(ゆや)の藤の近くにあります。 池田…

徳川家康と東海道三大グルメ

江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…

武田本隊が攻めた袋井の久野城

徳川と武田の間の三方ヶ原の戦いの前哨戦は、三ヶ野(磐田市東部、太田川・袋井市側)、見付宿、一言坂(磐田市西部、天竜川・浜松市側)、挑燈野と、東から西に行われたといいます。 三ヶ野の直前には、武田の本隊は、現在の袋井市にある久野城を攻めたと言…

磐田原台地での三方ヶ原前哨戦

静岡県西部(遠江)に広がる三方ヶ原台地と磐田原台地は、日本を代表する洪積台地(こうせきだいち、diluvial upland)です。大昔に、天竜川の扇状地が隆起したものです。これらの台地は、標高100〜200メートル程度と低いのが特徴です。なお、洪積diluvialは…

長篠合戦と三波川変成帯の緑石、中央構造線

徳川家康が当初活動した三河から遠江の地域は、地史的にも興味深いところです。特に、変成岩の種類が興味深いです。 領家変成帯と三波川変成帯 現在は浜松市になっている天竜区水窪町奥領家は、領家変成帯と呼ばれる重要な変成帯の名称の起源になっています…

徳川家康の鷹狩り@遠江

遠江 遠江、遠州というと、琵琶湖がある近江に対して、浜名湖のある遠江と説明されることが多いですが、天竜川河口付近を指すという説明もあります。これは、遠江の国府が現在の磐田市にあったからです。 ja.wikipedia.org JR浜松駅前のアクトタワーから東方…

三公ゆかりの頭陀寺とウィンドファーム

今回は、秀吉、家康、井伊直政の3人のゆかりのお寺、頭陀寺と当時の天竜川河口付近について考えてみます。 頭陀寺 頭陀寺(ずだいじ)は、浜松市南区にある高野山真言宗の寺院で、浜松市で最古の寺と言われます。 戦国時代には、今川氏の庇護で繁栄しました…

徳川家康と「テレビの父」高柳健次郎

妙恩寺 現在の浜松市東区の妙恩寺。 1568年、家康が井伊谷を経て、遠江入りをした時、陣を置いた場所として知られています。その後、頭陀寺を経て、引間城(浜松)に入ったといいます。 十二月十四日 家康鹿島、天竜川渡り、米倉 天竜川東を南下、池田より天…