静岡
富士山と家康(その4) 静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺、鉄舟寺。 富士山の景勝地として知られています。 もともとは、平安時代中期に久能寺として創建され、久能山の山頂にありました。1568年、駿河に侵攻した武田信玄によって、現在地に移されたと…
富士山と家康。今回は日本平からの富士山です。 東照宮(家康の墓所)がある久能山は、久能寺や久能城があった場所です。 日本平は久能寺への参詣のための参道の一部であったと言われています。 展示は「日本平夢テラス」のものです。 御前崎の方向 ランキン…
富士山と家康。清水港からの風景です。 山県昌景や穴山信君が城主をつとめた江尻城は、平城で、現在の江尻小学校の付近だったと言われています。海運にも関わっていたと言われますので、こんな風景だったのでしょうか。 ランキング参加中日本史 ランキング参…
「一富士 二鷹 三茄子」 家康が晩年、駿府を拠点にした理由に、富士山、鷹、折戸のナスの存在があったとも言われています。もちろん、戦略的、政治的な理由が大きかったとは思いますが、家康と富士山の話題もいくつか伝わっています。 清水区岡町の浜御殿 貝…
静岡市にある草薙神社(くさなぎじんじゃ)の創建にヤマトタケル(日本武尊)伝説が関係していることは明確です。一方、現在の草薙神社のある場所に草薙神社の建物ができたのは、1590年の造営の時だと言われています。1586年、秀吉に臣従した後、短期間、浜…
西郷局(お愛の方)まとめです。 美人で温和誠実な人柄であり、旦那が戦死した苦労人。家康の信頼が厚く、家臣や侍女達にも好かれていたといいます。二代将軍秀忠の生母であり、後に御三家筆頭となる尾張国を最初にまかされた松平忠吉の生母です。 掛川城天…
清見寺(せいけんじ)は、静岡市清水区興津の臨済宗妙心寺派の寺院。 足利尊氏や今川義元の帰依を受けて繁栄した。徳川家康は駿府の人質であったが、臨済寺に加え清見寺の住職でもあった太原雪斎に師事し、勉強していたといい、手習いの間やお手植えの梅(臥…
徳川家康の子供というと、正妻の築山殿との間にできた信康と亀姫のほかに、20人ほどの側室との子供が多くいます。 確実に存在していたものの、早逝した子供もいれば、信康に代表されるように様々な理由で消えてしまった子供もいますが、伝説として知られる子…
いろいろな場所にある家康像を集めてみました。 どこにあるのか、わかりますか? ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
徳川家康の正室(正妻)と側室(別妻)の一部について、まとめておきます。 西郡局と西郷局、茶阿局と阿茶局、2人いる「お万の方」など、紛らわしいところに注意したいところです。 築山御前(瀬名姫)と駿河御前(旭姫、朝日姫):2人の正室 西郡局:最初…
浜松の家康の散歩道にある3つのマイナー神社について、以前、紹介しました。 一方、静岡市の駿府城の近くにある小梳神社と別雷神社も、家康関係で紹介されるあまり馴染みのない神社です。 小梳神社(おぐしじんじゃ) 梳というのは、髪をとかす「くし」です…
静岡浅間神社の立川流彫刻は、日光や久能山東照宮と同様に、絢爛豪華な装飾美を持った日本文化の一面です。わびさびの美とは対照をなすものですが、日本美術の違った部分を味わうのも楽しいものです。 大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ) 「阿倍乃市(…
徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…
「しずおか」の名前の由来となった静岡市の賤機山(しずはたやま)のふもとにあるのは、静岡浅間神社と臨済寺が有名ですが、徳川家康ゆかりの2つの寺社を紹介します。 安西寺 安西寺は時宗のお寺です。 松高き丸山寺の流れの井 いくとせすめる秋の夜の月 (…
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国金谷(静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の山城。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神が祀られていました。徳川氏の時代の城名は牧野城。徳川家康は諏訪原城を接収すると、今川氏真を城主として一時的に任じました…
徳川家康の側室で「お万の方」と呼ばれる人物は2名います。 一人は結城秀康の生母、長勝院(於古茶(おこちゃ)、小督局)で、もともとは築山御前の奥女中であって、浜松時代に秀康を生んだ人物です。北ノ庄の城主となった秀康のもとで、1620年に亡くなって…
駿河湾の最深部は水深2500メートル。日本で最も深い湾です。いわゆる南海トラフがあるためですが、近くにある富士山の高さとは対照的です。 駿河湾から久能山東照宮に登ります。 駿河湾の海岸から久能山までのパノラマ写真 遠くに伊豆半島が見えます 久能山 …
駿府(府中)の西隣りの宿場。とろろ汁で有名ですが、山に囲まれた風情のある街となっています。 誓願寺 誓願寺(臨済宗妙心寺派)は、源頼朝の開基でしたが、焼失したため、武田信玄によって再建されました。豊臣秀頼の家老であり、方広寺鐘銘事件の弁明、…
静岡県庁21階から見る駿府城を紹介したいと思います。 大御所家康像から、天守発掘現場、臨済寺、そして南アルプスの山々。 南アルプスの山々。3000メートルを超える赤石岳、聖岳は、政令指定都市である静岡市内にある山々です。 天守台の発掘現場。 臨済寺 …
徳川家康にも関わりの深い天竜川、大井川、安倍川の3つの河川の風景です。 天竜川:池田の渡し 三方ヶ原の戦いの前の武田方との攻防では重要な意味を持った天竜川。東海道も姫街道もここは共通の池田の渡し。有名な熊野(ゆや)の藤の近くにあります。 池田…
遠州三山は、静岡県西部の袋井市内にある「法多山」「可睡斎」「油山寺」と、歴史のある大きな寺院です。それぞれが徳川家康と関係があります。 法多山尊永寺 (高野山真言宗)萬松山可睡斎 (曹洞宗)医王山油山寺 (真言宗智山派) 法多山 法多山といえば…
静岡市のプラモニュメントを家康を気にしながら紹介していきます。 JR静岡駅南口には、久能山東照宮の300年祭記念塔(大正4年、1915年)がありますが、静岡ホビースクエアも見逃せません。 青葉通り(青葉シンボルロード)の市役所側(駿府城側)の最後にあ…
徳川家康の側室のうち、政治外交的な役割をした阿茶局などに対して、西郷局(お愛の方)、養珠院(お万の方)、相応院(お亀の方)は、二代将軍の秀忠、御三家の当主の生母として重要な存在になっています。 西郷の局 二代将軍である徳川秀忠は掛川出身の西…
江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…
徳川家康の正室、2人の女性はそれぞれ戦国時代に人生を翻弄されました。 築山御前 佐鳴湖(@浜松市)の湖畔に散ったとされる築山殿。遺体は浜松市中区広沢の西来院(曹洞宗)に葬られました。首塚は、岡崎市の祐傳寺(後に八柱神社に移された)にあります。…
久能山東照宮にある「プラモデルのはじまりは静岡から」の展示。 静岡浅間神社や久能山東照宮の造営に際し、日本各地から優秀な職人が集められたことが、プラスチック模型につながったとされています。 JR静岡駅前と静岡市役所前 JR静岡駅の南口側にある静岡…
1560年、桶狭間の戦い(永禄3年5月19日(1560年6月12日))の年。 西暦と和暦の変換は以下のサイトが役立ちます。 その年、駿府(静岡市)には、駿府から出陣した元康(家康)に関わりのある2人の女性がいました。 源応尼(華陽院、於富) 家康の母である於…
駿府での人質時代、竹千代は学問を学んだとされています。 臨済寺と清見寺の住職であった太原雪斎から学んだという説もあります。竹千代手習いの間というのが復元されています。 興津の清見寺に再現された竹千代手習いの間 パノラマ撮影。方丈(部屋)は小さ…