築山殿
築山稲荷@岡崎です。 ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
以前、築山御前が暮らしていたとされる築山の位置について、このようなブログを出しました。 それに対して、築山御前が暮らしていた築山は、築山稲荷大明神がある場所ではないか、という問い合わせがありました。 その経緯について、以下のような解説を見つ…
築山殿の終焉の地の写真紀行です。 佐鳴湖 佐鳴湖の北側の風景。以前は水質汚染の激しい湖とされていましたが、最近は改善されているようです。この湖は浜名湖ともつながっていて、ボラ、スズキ、クロダイといった海の魚も見られます。 現在、工事中の太刀洗…
今回は、築山殿と松平信康が関係する場所をまとめてみました。 (その2)(その3)は、終焉の地の写真紀行です。 築山殿の供養塔 築山殿と家康が結婚したのは、駿府の今川氏のもとでした。 そして、今川家の中で政治や外交にも手腕を発揮していた女性、寿…
JR高塚駅近くの地蔵院(臨済宗)の位牌堂には、築山御前の腹篭地蔵尊があるそうです。 地蔵院は、後醍醐天皇の子、宗良親王ゆかりの元通円密が庵を結んだとされています。 説明が可美村の時代の教育委員会のものになっています。 六地蔵 ランキング参加中日…
徳川家康は1570年に浜松城を築城し、1587年初頭に駿府に移動するまで、29歳から45歳まで17年間、浜松を拠点として過ごしました。 家康の娘では、亀姫(1560-1625、正妻の築山殿との娘)、督姫(1565あるいは1575-1615、側室の西郡局との娘)、振姫(正清院)…
遠江の家康ゆかりの地ベスト10の後半は「想像してみる」ことに着目してみました。 番外「法多山の厄除け団子」と「さわやかのげんこつハンバーグ」 遠州地方のグルメとして、地域限定のものといえば、「法多山の厄除け団子」と「さわやかのげんこつハンバー…
蒲郡の上の郷城は忍者によって落城した最初の城とも伝わっています。 鵜殿長照は討ち取られ、その息子2人は、家康側に生け捕りにされました。そして、駿府の今川側に留まっていた瀬名姫(築山殿)と2人の子供(後の信康と亀姫)との人質交換となりました。 …
徳川家康の正室(正妻)と側室(別妻)の一部について、まとめておきます。 西郡局と西郷局、茶阿局と阿茶局、2人いる「お万の方」など、紛らわしいところに注意したいところです。 築山御前(瀬名姫)と駿河御前(旭姫、朝日姫):2人の正室 西郡局:最初…
徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…
岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれる家康の最初の正妻。 今回は築山殿についてまとめてみたいと思います。 File:築山殿.jpg - Wikimedia Commons 岡崎市の築山 「築山」があったとされる岡崎市の康生郵便局の近辺の風景です。籠田公園の南…
法蔵寺は、岡崎市本宿にある浄土宗のお寺です。岡崎市内にありますが、名鉄の電車で東岡崎駅から5駅行ったところにあるので、岡崎城などの観光スポットからは外れています。 本宿は、東海道53次の赤坂宿と藤川宿の間にある場所で、柴田勝家の子孫の命により…
普済寺、西来院、宗源院(下の「家康の散歩道」の地図で、16, 17, 18)は、浜松城の西側、広沢にある3つの曹洞宗の寺院です。広沢というように、昔はこの地に大きな池があったようですが、現在ではそのようなものは見られません。なお、この地区の道はかなり…
徳川家康の正室、2人の女性はそれぞれ戦国時代に人生を翻弄されました。 築山御前 佐鳴湖(@浜松市)の湖畔に散ったとされる築山殿。遺体は浜松市中区広沢の西来院(曹洞宗)に葬られました。首塚は、岡崎市の祐傳寺(後に八柱神社に移された)にあります。…
徳川家康の正室であった築山殿は、1579年、浜松の西側にある佐鳴湖を渡った湖畔で命を落としたとされています。 現在、浜松医療センター前の太刀洗の池は見ることができなくなっています。 佐鳴湖の北東の風景。 陸に閉ざされた湖のようにみえる佐鳴湖には浜…
明大寺町西郷中 愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」…