蒲郡の上の郷城は忍者によって落城した最初の城とも伝わっています。
鵜殿長照は討ち取られ、その息子2人は、家康側に生け捕りにされました。そして、駿府の今川側に留まっていた瀬名姫(築山殿)と2人の子供(後の信康と亀姫)との人質交換となりました。
鵜殿長照の墓は、上ノ郷城跡の西側の小道を歩いていったところにあります。
普通の小さな墓地のなかにあるとても小さな墓石です。
多くの普通の墓石のなかで、右側に小さく見える。
上ノ郷城は、家康の生母である於大の方の再婚相手である久松俊勝が城主となりました。
安楽寺
家康の生母である於大の方は、一時期、城の東にある安楽寺で過ごしたと言われています。
於大の方の墓は、江戸小石川の伝通院にありますが、位牌は安楽寺に置かれているそうです。
安楽寺
2015年の火災で古い本堂は焼失したということです。
山門の立派さに対して、全体に荒廃した感じがします。
久松俊勝の墓
久松俊勝の墓は、知多半島阿久井の洞雲院にもあるそうですが、こちらの安楽寺の墓は大きなものです。敗者となった鵜殿長照の墓との対比が印象的です。
蒲郡の基礎をつくったとされる藤原俊成
和歌で有名な藤原定家は、藤原俊成の息子です。