妙恩寺
現在の浜松市東区の妙恩寺。
1568年、家康が井伊谷を経て、遠江入りをした時、陣を置いた場所として知られています。その後、頭陀寺を経て、引間城(浜松)に入ったといいます。
十二月十四日 家康鹿島、天竜川渡り、米倉 天竜川東を南下、池田より天竜川西へ渡り、橋羽村妙音(恩)寺に入る。
十八日 家康、安間村頭陀寺に本陣を移し、江間加賀守時成家臣小野田彦右衛門の働きにより引間城に入城。
また、妙恩寺は、三方原の戦いで、家康が逃げ込んだとも伝わっています。
妙恩寺の門。
境内には、家康公御手植之苗場木というものもあります。
高柳健次郎
妙恩寺は「テレビの父」として知られている高柳健次郎の高柳家の菩提寺としても知られています。
高柳健次郎の墓碑。
また、明治期に天竜川の治水の偉業を行った金原明善の供養塔があります。
近くの金原明善記念館にある高柳健次郎の解説。
金原明善記念館。
金原明善は、日本人としては渋沢栄一に続いて伝記の数が多いらしいです。
金原明善、高柳健次郎ゆかりの浜松市立和田小学校。
静岡大学浜松キャンパスの入り口にある高柳健次郎の胸像。
JR天竜川駅近くにある妙恩寺の「法橋の松」。樹齢700年と言われます。