西郡局
本興寺(ほんこうじ)は、静岡県湖西市にある法華宗の寺院。
室町時代、鵜殿氏(うどのし)は現在の愛知県蒲郡市あたりを支配していましたが、本興寺の住職により、法華宗(日蓮宗)の信者となりました。戦国時代になると、鵜殿氏の一族が本興寺の住職となっていました。鵜殿長持は、今川義元の妹を室としていました。
1562年、家康と戦って本家は滅亡しましたが、分家が徳川方につき、本興寺の住職であった日梅(にちばい)の姉である西郡局(にしのこおりのつぼね)が、家康の側室になりました。永禄8年(1565年あるいは1575年)、家康の次女督姫(とくひめ、北条氏直の室、のち池田輝政に再嫁)を産みました。西郡局は、江戸で長応寺 (品川区)の再興に関わるなど、鵜殿氏が保護した法華宗の信者でした。
ちなみに、曳馬城で家康と戦ったお田鶴の方も鵜殿氏の出身で、西郡局と深い関係にあります。
本興寺には、西郡局の供養塔があります。
本興寺を歩いてみました。
室町時代からの本堂。
徳川家康の側室・西郡局の供養塔。弟であった住職・日梅によるという。
豊田佐吉
湖西市は、TOYOTAの基礎を築いた豊田佐吉、豊田喜一郎(トヨタ自動車創業者)の生誕地であり、本興寺の近くに記念館があります。
豊田佐吉が研究をした納屋。
豊田佐吉の生家の裏山から浜名湖と遥かに富士山を望む。
豊田佐吉が勉強会を開いていたという観音堂。
豊田市の松平郷
豊田喜一郎(トヨタ自動車創業者)は、松平氏発祥の地である松平郷の近くに本拠地を置き、そこはやがて豊田市と呼ばれることになりました。