徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

松平8代(その2)安祥

安祥城(安城城)は、松平氏が居城とした平山城で、松平3代から7代が利用しました。それぞれの関わりは以下のようになります。

 

3代 信光
岩津を拠点にした信光は、応仁の乱中には安祥(安城)、岡崎を攻略し、松平氏発展の基礎を固めました。

松平信光 - Wikipedia


4代 親忠
親忠は、信光の3男。安祥松平家の初代となりました。安祥松平家が松平家惣領となったことで、 信光についで松平8代の4代目とされています。安祥城の鬼門に大乗寺を創建。松平氏菩提寺である大樹寺も創建。

松平親忠 - Wikipedia


5代 長親
親忠の子で、安祥松平家2代目。今川氏(今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲))が三河に侵攻すると、安祥より出撃し退去させました。松平惣領家であった岩津家が滅び、長親の安祥家が松平の惣領となりました。

松平長親 - Wikipedia


6代 信忠
長親の子で、安祥松平家3代目。「三河物語」では、慈悲心がなく、暗愚であり、政務の手腕もなかったとされています。家督をめぐって安祥松平家が分裂しました。

松平信忠 - Wikipedia


7代 清康
信忠の子として、1511年に誕生。安祥松平家の4代目。家康の祖父。岡崎松平家と対立しましたが岡崎城を得て、拠点を安祥から岡崎に移しました。その後、三河統一をめざしましたが、1535年に織田信秀を攻略するために尾張守山に出陣したところ、家臣に殺され、松平氏の三河領国支配も崩壊することになりました(いわゆる、森山(守山)崩れ)。清康の子が、8代の広忠(家康の父)になります。

松平清康 - Wikipedia

安祥城(安城城)

現在は大乗寺と八幡社の境内。周辺は安祥城址公園や安城市歴史博物館となっています。


安祥城址公園の安祥城址(安城城跡)

大乗寺

安祥松平家の初代、親忠が、安祥城の鬼門に創建。

本多忠高墓碑

東尾八幡社

安祥城址(安城城跡)

安城市歴史博物館