徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。
今回は、岩津についてです。岩津は岩津天満宮があるところで、岡崎市の北部にあります。岩津城は、松平氏が三河に基盤を作った最初の拠点です。遠江から三河に侵攻を試みた今川氏(今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲))が岩津城を攻め、松平氏が防御したことでも知られています(1508年)。
2代 泰親
岩津にに初めて進出したのは二代の泰親(または信光)の時代とされています。
3代 信光
岩津城
岩津天満宮の近くにあるのが、岩津城で、松平氏が発展する基盤となった城です。
1421年頃に3代松平信光によって築かれたと云われています。 信光は松平氏の祖である親氏の子供ですが、信光が幼少の時に親氏が没したため、家督は一時親氏の弟である泰親へ譲られ、後に信光が3代目となりました。信光は岩津へ進出し、そこに築城して松平郷から岩津城へと移りました。また、晩年になると、安祥城を落として居城を移しました。
1508年、安祥に拠点があった松平五代の長親の時には、今川氏(今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲))が三河に侵攻し、岩津城を攻めましたが、退去させました。
また、岩津城は、1584年の小牧長久手の合戦の際に、徳川家康によって利用されたとも言います。
岩津天満宮
信光明寺
1451年、岩津城主の松平信光が創建した浄土宗のお寺です。
1570年から1572年にかけて、武田信玄の三河侵入の際の戦闘、焼失したが、家康の命で再建されたといいます。岩津というと、岡崎城までそれほど距離はないのですが、こんなところまで武田方が入り込んでいたのでしょうか。
松平親氏、松平泰親、松平信光3代の墓があります。