徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

松平8代(その1)岩津

徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。

今回は、岩津についてです。岩津は岩津天満宮があるところで、岡崎市の北部にあります。岩津城は、松平氏が三河に基盤を作った最初の拠点です。遠江から三河に侵攻を試みた今川氏(今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲))が岩津城を攻め、松平氏が防御したことでも知られています(1508年)。

2代 泰親 

岩津にに初めて進出したのは二代の泰親(または信光)の時代とされています。

3代 信光 

岩津城

岩津天満宮の近くにあるのが、岩津城で、松平氏が発展する基盤となった城です。

岩津松平家 - Wikipedia

1421年頃に3代松平信光によって築かれたと云われています。 信光は松平氏の祖である親氏の子供ですが、信光が幼少の時に親氏が没したため、家督は一時親氏の弟である泰親へ譲られ、後に信光が3代目となりました。信光は岩津へ進出し、そこに築城して松平郷から岩津城へと移りました。また、晩年になると、安祥城を落として居城を移しました。

1508年、安祥に拠点があった松平五代の長親の時には、今川氏(今川氏親、伊勢宗瑞(北条早雲))が三河に侵攻し、岩津城を攻めましたが、退去させました。

また、岩津城は、1584年の小牧長久手の合戦の際に、徳川家康によって利用されたとも言います。

 

 

岩津天満宮

信光明寺

1451年、岩津城主の松平信光が創建した浄土宗のお寺です。

1570年から1572年にかけて、武田信玄の三河侵入の際の戦闘、焼失したが、家康の命で再建されたといいます。岩津というと、岡崎城までそれほど距離はないのですが、こんなところまで武田方が入り込んでいたのでしょうか。

松平親氏、松平泰親、松平信光3代の墓があります。

ja.wikipedia.org