胎盤、胞衣、母衣とは
胎盤(たいばん)って、知っているようでよく知らない人が多いです。
クイズです。胎盤の組織の細胞が持っている遺伝子は誰のものでしょうか?
- 母親
- 胎児
- 母親と胎児の両方
中世においては、胞衣(えな)を埋める場所の習俗が東西では違ったとされる。東国では戸口に埋め、西国では産室の床下か縁の下に埋められたという。東国が血を忌むことが少ない縄文文化的習俗の名残があり、血を忌む西国との違いにつながったものと考えられている(網野喜彦 『中世再考 列島の地域と社会』 講談社学術文庫 2000年 p.179)。
誰もが持っている胞衣ですが、胞衣塚のある歴史上の人物はそれほど多くないです。継体天皇や牛若丸(源義経)といった興味深い人物の胞衣塚が知られています。
戦国時代の戦いでよく見る「母衣(ほろ)」
新井白石の『本朝軍器考』では「母衣」という表記はその形状と用途から妊婦の胞衣になぞらえたものであるという説を載せている。一方、民俗学者の南方熊楠は、中国古典より「羽衣」の字を写し間違えたという説を主張していた。
映画「関ヶ原」(2017年、東映)では、この新井白石の説で、徳川家康が母衣を作っていました。とりわけ、織田信長の「黒母衣衆(くろほろしゅう)」と「赤母衣衆(あかほろしゅう)」は有名です。
徳川家康
天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日)、岡崎城主松平広忠の嫡男として岡崎城において誕生。生母は水野忠政の娘・大子。幼名は竹千代(たけちよ)。
徳川家康の胞衣塚(えなづか):愛知県岡崎市の岡崎城内
産湯井(うぶゆのい):愛知県岡崎市の岡崎城
結城秀康:家康の次男
中村家住宅 なかむらけじゅうたく (浜松市西区雄踏町宇布見)
ここで、結城秀康(ゆうき ひでやす、天正2年(1574年)2月8日生まれ)が生まれたとされます(小督局(こごうのつぼね)、長勝院)。浜名湖周辺の奉行を務める源範頼の系譜である領主・中村正吉の屋敷。
結城秀康がこの中村家で生まれその胞衣を納めた塚があります。塚上の梅は徳川家康の手植えと伝えられています。
秀康の胞衣塚(中村家住宅)
伝承では、秀康は双子で誕生し、もう一人はすぐに亡くなったとする言い伝えがあります。これが家康が、秀康を疎んじた理由であったとの説も。
徳川秀忠:家康の三男、二代将軍
産湯井:浜松市遠州鉄道・遠州病院駅前にある。
秀忠は、西郷局(さいごうのつぼね、お愛の方)の子供である。
浜松で訪れたい産湯井
井伊家発祥の地:共保公出生の井戸(浜松市北区引佐町の龍潭寺前)
徳川4天王の井伊直政の出身地、おんな城主直虎で話題になりました。
三河武士のやかた家康館(岡崎城)