三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在の土呂八幡宮)および、三河国の守護である吉良氏などが加わりました。
本證寺では、空誓(蓮如の曾孫)が中心となって、領主の家康と戦いました。
今回は、本證寺。次回の「その2」では、上宮寺、そして「その3」では、勝鬘寺、本宗寺(現在の土呂八幡宮)を見ていきます。
まず、安城歴史博物館で開かれていた「家康と一向一揆」の展示
本證寺(ほんしょうじ)
本證寺では空誓上人を中心に大規模な活動が行われ、現在でもその堀などの一部が残されていて、様子を想像することができます。
寺の内部だけでなく、寺の敷地の外部の様子も気になります。
こういう平野にポツンと存在していた寺であったことが想像できます。
なぜ、こういう場所に本證寺が作られたのかという疑問については解決できませんでした。