徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

徳川家康と磐田市役所のソテツ

磐田市には、中泉御殿やその関連建築、見付の未完成城、伝・酒井の太鼓、一言坂の戦い跡だけでなく、徳川家康ゆかりのものが、いくつかあります。

磐田市役所の前に大きなソテツが植えられています。「お手植えの蘇鉄」というと、その人が直接植樹したものをいうと思うのですが、こういうものも「お手植えの蘇鉄」としてしまうのは、何か変です。明らかに市役所の敷地内に生えているものですが、公的な施設にこういうものがあるというのも珍しいです。

徳川家康「お手植えの蘇鉄」

三仭坊(みひろぼう)と大乗院三仭坊

徳川家康が、現在のJR磐田駅の南に中泉御殿を造る際、既にあった小笠山小笠寺を、三仭坊として、中泉御殿の鬼門(北東)に置いたとされています。それが、徳川家康の手植えとなるソテツの起源ということです。その後、三仭坊が大乗院と合併することになり、その時、磐田町役場にソテツを寄付したということです。なお、現在、JR磐田駅の北側にある大乗院三仭坊には、このソテツの一部が戻っているということです。

大乗院 三仭坊(だいじょういん みひろぼう)

中泉御殿は、家康の関東移封後も、京へ上る家康の滞在施設として徳川領として扱われていました。家康が、関ケ原、大阪冬の陣、夏の陣の時にも、掛川城や浜松城ではなく、中泉御殿を利用していたということです。

一言坂の戦いと三ヶ野の戦い

中泉御殿の関連建築についてはこちらで説明

中泉御殿跡の徳川家康像

現在の大乗院三仭坊

 

中泉御殿の設置とともにできた中泉寺(JR磐田駅南側)

見付の宣光寺

家康寄進の梵鐘

家康ゆかりの「みがわり地蔵」