渥美半島の田原市にある田原城は、当初、戸田氏の渥美半島支配の拠点でした。
1547年、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河に送られることになっていた竹千代(家康)を護送する予定でしたが、寝返って織田信秀に渡したとされます。その結果、田原城は今川義元の攻撃を受けて落城したということになっています。
田原は、田原藩の年寄であった渡辺崋山が幕末の蛮社の獄で幽閉され、自死をした地であることから、渡辺崋山ゆかりの場所や展示が多いです。
田原城の門
本丸だった場所は神社になっています。
二の丸だった場所は、博物館。
田原城の周りの風景から
天保の大飢饉の前に、渡辺崋山が作った食料備蓄庫(報民倉)
渡辺崋山が幽閉生活を送った家
ヒポクラテス像(渡辺崋山筆、九州国立博物館)