城
今回は、鳥居強右衛門(とりい すねえもん)関係の場所です。 長篠城址の本丸・野牛曲輪跡 長篠城址は、寒狭川(現在は豊川とよかわ、左)と大野川(現在は宇連川うれがわ、右)が合流する場所にあります。鳥居強右衛門磔の地は左側の豊川側にあります。 鳥…
武田四天王は、馬場信房(馬場信春)、内藤昌豊(昌秀)、山県昌景、高坂昌信の4人です。 長篠城址の西側少しのところに、馬場信房の墓碑と中央構造線の露頭があります。 左側に見える木のかたまりが馬場信房の墓碑です。 中央構造線露頭 林の中を歩いていく…
長篠城攻めにあたり武田方の陣地となった天神山と医王寺です。 天神山 戦いの際、天神山に一条信龍、土屋昌次、真田信綱、昌輝ら2000名が布陣した陣所ということです。医王寺の南200メートルにあります。 医王寺 弥陀が池 ランキング参加中日本史 ランキング…
日本史のなかでも徳川・織田vs武田の戦いである長篠・設楽ヶ原の戦いは、特に重要な合戦だと思います。長篠城跡そのものを見学する機会はあると思いますが、今回のシリーズでは城でない部分を中心に回ってみました。 長篠城跡の北側にある大通寺には、盃井と…
家康の生誕の地である西三河の岡崎、家康が17年という長期間を過ごした遠江の浜松。 一方、西三河と遠江にはさまれた東三河は、長篠などの戦いの跡が残されていたり、家臣団との強い関わりが見られる一方で、家康そのものの足跡はそれほど大きくありません。…
渥美半島の田原市にある田原城は、当初、戸田氏の渥美半島支配の拠点でした。 1547年、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河に送られることになっていた竹千代(家康)を護送する予定でしたが、寝返って織田信秀に渡したとされます。その結果、田原…
豊川市にある伊奈城跡と花ケ池は、三つ葉葵の紋の発祥の地とされています。 伊奈城跡 土塁 フタバアオイ 花ケ池公園 伊奈城跡の少し北側、東海道新幹線の横にある花ケ池公園。 暗くなっているところは、東海道新幹線の土塁です。 東漸寺 伊奈本多氏の菩提寺…
蒲郡の上の郷城は忍者によって落城した最初の城とも伝わっています。 鵜殿長照は討ち取られ、その息子2人は、家康側に生け捕りにされました。そして、駿府の今川側に留まっていた瀬名姫(築山殿)と2人の子供(後の信康と亀姫)との人質交換となりました。 …
愛知県の三河湾の海岸沿いにある蒲郡(がまごおり)。 そこにある上ノ郷城は、鵜殿氏が本拠地としていた城ですが、家康が忍者を使って陥落させ、その後、家康の生母の於大の方の再婚相手である久松俊勝の居城となりました。1590年家康の関東移封により、廃城…
吉田城は、愛知県東部(東三河)にある豊橋市のシンボルです。 1564年、家康は、吉田城を攻略し、城主に酒井忠次をおいて、東三河を支配しました。 その後、秀吉配下にあった池田輝政(照政)が、吉田城の城主となり、城郭を改造。池田輝政は、徳川家康の娘…
家康に攻められた今川氏真が立てこもった掛川城、小山評定で山内一豊が家康に差し出した掛川城。武田と徳川の攻防戦が繰り返された高天神城。高天神城攻めの拠点として利用された横須賀城。掛川市には興味深い城が3つあります。武田の拠点となった諏訪原城…
今回は、最近、公開が再開された掛川城と周りの風景です。 前回は、こちら。 大手門 ここからの天守が一番美しいと言われているようです。 こういうところは意図的に残しているのでしょう 霧吹き井戸 駿府が武田信玄によって攻められたため、今川氏真は、朝…
大阪の陣の前、1610年に、江戸や駿府より西にある徳川の大拠点として築かれたのが名古屋城。名古屋の城下町を作ったのは家康です。 尾張の中心は、それまで清須城でしたが、水害や水攻めなどによる防衛を考え、城だけでなく街の建物、人といった機能をそのま…
先日放送されたNHKの「英雄たちの選択」で家康による見付(磐田市)での築城の試みが大きく取り上げられていました。 「英雄たちの選択」、これほど幻となった家康の見付城を取り上げてくださった番組はなかったと思います。見付城はいまは城山球場で、その…
大高城は、桶狭間の戦いの前に、今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行い、成功したことで知られています。 昔は海岸線にあった大高城を訪ねてみました。 大高城やその周辺の織田方2つの砦は、JR東海道線の大高駅付近にあります。 …
大樹寺(だいじゅじ / だいじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 松平4代の親忠により、1475年に創建されたと伝えられています。 多宝塔は、松平清康の時代、1535年にできたとされ、大樹寺では現存する最も古い建物です。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代…
家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。 8代 広忠 松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林…
安祥城(安城城)は、松平氏が居城とした平山城で、松平3代から7代が利用しました。それぞれの関わりは以下のようになります。 3代 信光岩津を拠点にした信光は、応仁の乱中には安祥(安城)、岡崎を攻略し、松平氏発展の基礎を固めました。 松平信光 - Wiki…
徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。 今…
徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…
1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…
刈谷市と東浦町は、徳川家康の生母である於大の方ゆかりの地。於大ゆかりのとても立派な施設があることに驚きます。また、刈谷と東浦町の間にあるのが、境川。三河と尾張の国境にある河川です。したがって、刈谷市は三河に、東浦町は尾張にあるということに…
浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…
引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。 はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出していま…
城郭は、時代を経て、様々に変わってしまうので、昔の姿がよくわからないということがあります。浜松城は史跡としては、真正性が低くて、チート感満載です。静岡市の駿府城の場合は堀が残っているので理解しやすいですが、浜松城は堀が残っておらず、その様…
見付(磐田市)は遠江国の中心で古来から国府が置かれていました。 家康による見付の築城 1567年、徳川家康は遠江の国に入った後、引馬(浜松城)に拠点を定めました。しかし、その前に見付(現在の磐田市)に大規模な築城を試みたと言われています。この城…
浜名湖の舘山寺(かんざんじ)近くにある堀江城。大沢氏が鎌倉時代に築城したと言われ、戦国時代になると、大沢氏も今川氏に支配されたことで、今川氏の城となりました。徳川家康が三河から遠江に侵攻した1569年、大沢基胤(おおさわもとたね)は遠江におけ…
2005年までは、天竜市と呼ばれていた浜松市天竜区の天竜二俣地区。その前には二俣町と呼ばれていました。行政区画の名称や範囲が変更になると地域のアイデンティティを捉えるのがなかなか難しいところです。 天竜市 - Wikipedia ここにある二俣城(ふたまた…
凧といえば、浜松の大凧。遠州地方では、袋井の丸凧、大須賀の遠州横須賀凧といった凧も知られています。特に冬に海岸部で風が強い「遠州のからっ風」を利用した凧。 そして、戦国時代には軍事目的に凧が利用されたと言われています。 浜松まつりの凧揚げ合…
茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男である松平忠輝の生母です。家康の晩年、政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。 松平忠輝というと、伊達政宗の娘である五郎八姫(いろはひめ)と結婚しましたが、終…