茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男である松平忠輝の生母です。家康の晩年、政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。
松平忠輝というと、伊達政宗の娘である五郎八姫(いろはひめ)と結婚しましたが、終生、家康には疎まれた存在となり、「野風の笛(乃可勢)*」など、興味深い物語として描かれることが多いです。
(*織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、松平忠輝と渡った縦笛。三英傑の手を渡ったのち、徳川家康が死に際して茶阿局を介し松平忠輝に形見として託したとされている)
お久は、遠江国金谷の鋳物師の後妻として、娘(お八)を生みます。しかし、お久に代官が横恋慕し、夫を殺すという事件が発生しました。お久は、殺された夫の仇を討ってもらおうと、鷹狩に来ていた家康前にお八を連れて直訴して代官は処罰されました。その後、家康はお久を呼び出し、側室とし、やがて茶阿局となりました。
浜松市東区中郡町には、家康が鷹狩りの折、お久を預けていた鈴木権右衛門家(旧鈴木家屋敷跡(万斛庄屋公園)、遠州鉄道西ヶ崎駅近く)があります。1592年に後の松平忠輝を生みました。また、茶阿局の実兄である山田上野介は、石田三成の重臣であって、佐和山城の落城で自刃したとされます。
鈴木家屋敷跡
科学関係のイベントとともに旧鈴木家屋敷を保存しようとしているプロジェクト
甘露寺と甘露梅
洞善院
金谷というと、諏訪原城(牧野城)や大井川鉄道の発着駅として有名ですが、金谷は茶阿局ゆかりの地です。金谷にある洞善院には、茶阿局の位牌があるということです。
なお、茶阿局の墓は、東京都文京区の宗慶寺にあります。
金谷にある洞善院
諏訪原城址から見える南アルプスの山々