徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

掛川城と花・鳥

徳川家康に攻められた今川氏真が最後に朝比奈氏のもとで籠城した掛川城。 後に土佐藩主となる山内一豊が城主として10年間過ごし、戦後初の木造再建された天守で知られる掛川城。関ヶ原の戦いの前には、小山評定で山内一豊が掛川城を家康に提供するという発言…

横須賀城と遠州灘

徳川家康が高天神城攻めのために作らせたという横須賀城。 この城は、平城で、明治維新まで使われていた城です。 天竜川より運んだという玉石垣を用いた築城に特徴があります。 この城のすぐ南は遠州灘。遠州灘は太平洋そのもので外海なので波も常に高く、南…

戦国時代を感じる諏訪原城(牧野城)とお茶

諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国金谷(静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の山城。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神が祀られていました。徳川氏の時代の城名は牧野城。徳川家康は諏訪原城を接収すると、今川氏真を城主として一時的に任じました…

ケスタ地形の要塞・高天神城

「高天神を制するものは遠州を制す」とされ、徳川と武田の争奪戦が行われた高天神城。この城は、ケスタ(Cuesta)地形と呼ばれる波状の地形が利用された場所に作られた山城です。実際に歩いてみると、まさに戦国の要塞という印象を受けます。 また、数多くの…

徳川家康と東京女子医大

「高天神を制するものは遠州を制する」 徳川と武田が攻防戦を繰り広げた遠江国城東郡土方(ひじかた、掛川市上土方・下土方)の高天神城。 吉岡彌生 掛川市土方は、東京都新宿区にある東京女子医科大学の創立者として知られる吉岡彌生の出身地です。 吉岡彌…

徳川家康の駿府城

静岡県庁21階から見る駿府城を紹介したいと思います。 大御所家康像から、天守発掘現場、臨済寺、そして南アルプスの山々。 南アルプスの山々。3000メートルを超える赤石岳、聖岳は、政令指定都市である静岡市内にある山々です。 天守台の発掘現場。 臨済寺 …

岡崎の「明大寺町西郷中」と「築山」という場所

明大寺町西郷中 愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」…

武田本隊が攻めた袋井の久野城

徳川と武田の間の三方ヶ原の戦いの前哨戦は、三ヶ野(磐田市東部、太田川・袋井市側)、見付宿、一言坂(磐田市西部、天竜川・浜松市側)、挑燈野と、東から西に行われたといいます。 三ヶ野の直前には、武田の本隊は、現在の袋井市にある久野城を攻めたと言…

家康の黒歴史とみをつくし

三河を統一した家康が、武田との密約で遠江に侵攻した時に起こった堀川城に対する攻撃。それは、「男女ともになで斬りにしたりける」(三河物語)と伝えられ、徳川の「黒歴史」とも言われています。 気賀に行くと堀川城や獄門畷というものを見ることができます…