お亀の方(おかめのかた、1573-1642)は、御三家筆頭の尾張徳川家初代・徳川義直の生母として知られる家康の側室です。家康の側室となる前には、尾張藩の2人の有力家臣も生んでいます。
1600年、五郎太(後の徳川義直)を生みました。家康の死後は、相応院と名乗り、義直のいる名古屋城で暮らしました。義直は、お亀の方の死後、1643年、宝亀山相応寺(名古屋市)を建立しました。
相応寺は、現在の徳川美術館に近い名古屋市東区山口町にありました。1923年には、この場所に中京商業学校が設立されました。この学校の初代校主は梅村清光で、現在は私立の学校法人梅村学園として、中京大学などを運営しています。昭和になって、相応寺は現在ある千種区城山町(覚王山近く)へ移建されています。
覚王山付近は、日泰寺を中心とした少しおしゃれな街となっています。
日泰寺は、日本でも唯一の超宗派の寺院として知られ、19宗派が3年交代で住職をつとめ、各宗の代表が寺務に関わってます。
日泰寺
相応寺に行くには、日泰寺の5重塔の横の道を東側に降りていくのがわかりやすいです。
門
お亀の方の供養塔
名古屋城の風景から
名古屋の有名な殿様といえば、義直と宗春です。