遠州
天竜川の河口にある磐田市掛塚は天竜川を使い遠州北部からの材木を集め、遠州の湊として利用されていました。また、材木加工のために、のこぎり鍛冶が盛んでした。 家康の側室となるお愛の方(西郷局)の実母の再嫁先の服部正尚が鍛冶として掛塚に潜伏してい…
許禰神社は、1572年、家康が武田信玄に惨敗した三方原の戦いの前哨戦となった木原綴の古戦場でした。しかし、1575年の長篠設楽原の戦いの後になると、遠江でも武田方が劣勢になりました。 許禰神社のすぐ近くにある長命寺には、武田家家臣の笹田源吾の供養塔…
袋井市にある許禰神社(こねじんじゃ)は、袋井市と磐田市の境界近くの旧東海道沿い、太田川の東側にある神社です。かつては、木原権現、熊野権現とも称していたようです。 もともと木原畷と呼ばれる古戦場で、徳川方の久野氏と武田方が三方原の戦いの前哨戦…
徳川家康は1570年に浜松城を築城し、1587年初頭に駿府に移動するまで、29歳から45歳まで17年間、浜松を拠点として過ごしました。 家康の娘では、亀姫(1560-1625、正妻の築山殿との娘)、督姫(1565あるいは1575-1615、側室の西郡局との娘)、振姫(正清院)…
遠江の家康ゆかりの地ベスト10の後半は「想像してみる」ことに着目してみました。 番外「法多山の厄除け団子」と「さわやかのげんこつハンバーグ」 遠州地方のグルメとして、地域限定のものといえば、「法多山の厄除け団子」と「さわやかのげんこつハンバー…
遠江の家康ゆかりの地ベスト10ということで、まとめてみたいと思います。 JR東海の列車でもこんな吊り広告を見かけます。 高天神城 これからの夏の季節、山城の見学はかなり厳しいものがあります。 暑さ、蚊や蜂や蛇の出現、草で地面が見にくく堀などがわか…
徳川家康が築城を試みた見付の未完成城(城之崎城、現在の磐田市城山球場)の南西にあるのが、福王寺です。 平安時代の有名な陰陽師である安倍晴明がここで祈祷をして暴風を鎮めたことから、山号を風祭山といい、晴明大権現があります。また、駿河今川家の初…
現在、岡崎から浜松、見付(磐田)に行く場合は、東海道が基本になっていますので、吉田(豊橋)から新居、弁天島、舞阪を通って、浜名湖を渡る経路を思い浮かべると思います。JRの東海道本線、東海道新幹線、バイパスでわかりにくくなりましたが国道1号線…
お万の方が、1574年、宇布見(浜松市西区)の中村家で産んだとされる結城秀康。幼名は於義伊(おぎい、於義丸)でした。これは、魚のギギに似ていたことから名付けられたといいます。 ギギは、ナマズ目の魚ですが、どんな魚なのでしょうか?ギギは、義義と書…
上村清兵衛という人が見付(磐田)に住んでいて、酒を作っていました。徳川家康が見付を訪れた時、冷酒を出したところ、家康は気に入って、冷酒清兵衛と呼ぶようになったといいます。 その後、家康が武田方に追われて見付に逃れてきました。見付宿に火を放ち…
徳川家康の子供というと、正妻の築山殿との間にできた信康と亀姫のほかに、20人ほどの側室との子供が多くいます。 確実に存在していたものの、早逝した子供もいれば、信康に代表されるように様々な理由で消えてしまった子供もいますが、伝説として知られる子…
浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。 山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理…
家康の側室お万の方が家康の第二子である結城秀康(於義丸)を産んだとされる宇布見(浜松市西区、JR舞阪駅の北1.5km)の中村家住宅。 中村家住宅には、胞衣塚や家康が植えたと伝えられる梅がありますが、その近くにあるのが息神社(おきじんじゃ)です。705…
いろいろな場所にある家康像を集めてみました。 どこにあるのか、わかりますか? ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
三方ヶ原の戦いまとめです。 JR浜松駅前のアクトタワー展望回廊 三方原の戦いの様子を実感するには、JR浜松駅前のアクトタワーの展望回廊に行くのがよいと思います。展望回廊は、オークラアクトシティホテル浜松のロビーのエレベーターを利用することで行く…
家康は、磐田市中泉の中泉御殿を頻繁に利用していましたが、見付城(現在の磐田市)の築城中など、しばしば見付のどこかにも滞在していたものと考えられます。磐田市見付に伝わる家康と安間平治弥の話です。 安間平治弥 「遠州磐田郡見附宿安間平次弥記」に…
横須賀城は、家康が高天神城攻めの拠点として作った城です。江戸時代になっても、横須賀藩の城として利用され続けた城でした。 明治時代になると、現在の磐田市にある見付学校の建設のために、横須賀城から払い下げを受けた石垣が利用されました。 土台とな…
家康に攻められた今川氏真が立てこもった掛川城、小山評定で山内一豊が家康に差し出した掛川城。武田と徳川の攻防戦が繰り返された高天神城。高天神城攻めの拠点として利用された横須賀城。掛川市には興味深い城が3つあります。武田の拠点となった諏訪原城…
今回は、最近、公開が再開された掛川城と周りの風景です。 前回は、こちら。 大手門 ここからの天守が一番美しいと言われているようです。 こういうところは意図的に残しているのでしょう 霧吹き井戸 駿府が武田信玄によって攻められたため、今川氏真は、朝…
磐田市の鎌田は神明宮や古墳群など歴史を感じる自然豊かな地区です。 奈良時代に創建され、「東海の苔寺」と呼ばれる医王寺は、鎌田にあるお寺です。 徳川家康が、1ヶ月にわたって幕府隆盛を祈願したと言われていますが、これはどういうことなのでしょうか。…
磐田市にある「香りの博物館」で、ふだんは旧見付学校にある「伝・酒井の太鼓」が展示されています。現在のインターネットでは体験できない「香り」と「伝・酒井の太鼓」の本物を間近で見ることができる興味深い展示です。6/25まで開催されているそうです。 …
徳川家康の正室(正妻)と側室(別妻)の一部について、まとめておきます。 西郡局と西郷局、茶阿局と阿茶局、2人いる「お万の方」など、紛らわしいところに注意したいところです。 築山御前(瀬名姫)と駿河御前(旭姫、朝日姫):2人の正室 西郡局:最初…
茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男松平忠輝の生母です。名前がややこしいですが、家康の晩年、大阪城攻めの講和交渉など政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。浜松市東区中郡町には、家康が鷹狩りにで…
家康が遠江で最初の拠点に選んだ見付の未完成城、一言坂の戦いと本多忠勝、伝・酒井の太鼓が見られる旧見付小学校、鷹狩りの拠点や関ヶ原の軍略で知られる中泉御殿など、家康の重要な足跡が見られる磐田市。 ここには、家康を祀る東照宮もあります。 www.chu…
浜松まつりゆかりの椿姫のアップデートです。 今年の浜松まつりのポスターも。 お田鶴の方 - Wikipedia ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい)は、三方ヶ原の戦いの前哨戦、徳川側撤退戦としては、最も有名な戦いです。一言坂は、磐田原台地の西側、天竜川の東にあります。 「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」が有名です。 また、しばしば話題…
家康の城ではないですが、家康とも関わりのある城が、井伊城です。井伊谷を治めた井伊氏の居住のための城が井伊城で、平城です。一方、井伊城に付設した井伊谷城は山城ですが、狭い山頂部と簡単な土塁を造っただけのの物見台のようなもので、籠城戦といった…
三方ヶ原の戦い。まとめ編です。 三方ヶ原霊園の近くにある「三方ヶ原古戦場」 三方ヶ原合戦の開始は夕方であったと伝えられています。夕方になると、三方ヶ原古戦場の文字がくっきりと浮き上がっています。 犀ヶ崖(さいががけ)資料館 本多忠真顕彰碑 犀ヶ…
先日放送されたNHKの「英雄たちの選択」で家康による見付(磐田市)での築城の試みが大きく取り上げられていました。 「英雄たちの選択」、これほど幻となった家康の見付城を取り上げてくださった番組はなかったと思います。見付城はいまは城山球場で、その…
江戸幕府の二代将軍となった秀忠の生母として知られるお愛の方(西郷局)。 姉川(1570)、三方原(1572)、長篠(1575)、信康・築山殿処分、本能寺と伊賀越(1582)、天正壬午の乱、小牧長久手(1584)までの浜松時代(1570-1586)に家康を支えた、掛川生まれとされる…