徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

遠州

知立神社と側室お万の方

家康の側室で「お万の方」と呼ばれる側室は2名います。 一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、日蓮宗に帰依した養珠院と呼ばれる人物です。 もうひとりの「お万の方」は、長勝院(ち…

徳川家康と磐田市役所のソテツ

磐田市には、中泉御殿やその関連建築、見付の未完成城、伝・酒井の太鼓、一言坂の戦い跡だけでなく、徳川家康ゆかりのものが、いくつかあります。 磐田市役所の前に大きなソテツが植えられています。「お手植えの蘇鉄」というと、その人が直接植樹したものを…

わかる浜松城(その3)家康の散歩道のマイナー神社

浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…

わかる浜松城(その2)鬼門と裏鬼門

引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。 はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出していま…

わかる浜松城(その1)城

城郭は、時代を経て、様々に変わってしまうので、昔の姿がよくわからないということがあります。浜松城は史跡としては、真正性が低くて、チート感満載です。静岡市の駿府城の場合は堀が残っているので理解しやすいですが、浜松城は堀が残っておらず、その様…

三ヶ野の戦いと大日堂@磐田

武田vs徳川(+織田)の「三方ヶ原の戦い」の前哨戦が「一言坂の戦い」なら、そのまた前哨戦が「三ヶ野の戦い」です。三ヶ野(みかの)は、磐田市の東側に位置します。 大日堂 その際、徳川方(本多忠勝)が、東からやってくる武田方を物見したというのが大日…

見付端城と徳川家康の猶子の供養塔

見付(磐田市)は遠江国の中心で古来から国府が置かれていました。 家康による見付の築城 1567年、徳川家康は遠江の国に入った後、引馬(浜松城)に拠点を定めました。しかし、その前に見付(現在の磐田市)に大規模な築城を試みたと言われています。この城…

堀江城と舘山寺

浜名湖の舘山寺(かんざんじ)近くにある堀江城。大沢氏が鎌倉時代に築城したと言われ、戦国時代になると、大沢氏も今川氏に支配されたことで、今川氏の城となりました。徳川家康が三河から遠江に侵攻した1569年、大沢基胤(おおさわもとたね)は遠江におけ…

二俣城と鳥羽山城

2005年までは、天竜市と呼ばれていた浜松市天竜区の天竜二俣地区。その前には二俣町と呼ばれていました。行政区画の名称や範囲が変更になると地域のアイデンティティを捉えるのがなかなか難しいところです。 天竜市 - Wikipedia ここにある二俣城(ふたまた…

お田鶴の方(椿姫)と遠州凧

凧といえば、浜松の大凧。遠州地方では、袋井の丸凧、大須賀の遠州横須賀凧といった凧も知られています。特に冬に海岸部で風が強い「遠州のからっ風」を利用した凧。 そして、戦国時代には軍事目的に凧が利用されたと言われています。 浜松まつりの凧揚げ合…

徳川家康の側室・茶阿局と金谷

茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男である松平忠輝の生母です。家康の晩年、政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。 松平忠輝というと、伊達政宗の娘である五郎八姫(いろはひめ)と結婚しましたが、終…

掛川城と花・鳥

徳川家康に攻められた今川氏真が最後に朝比奈氏のもとで籠城した掛川城。 後に土佐藩主となる山内一豊が城主として10年間過ごし、戦後初の木造再建された天守で知られる掛川城。関ヶ原の戦いの前には、小山評定で山内一豊が掛川城を家康に提供するという発言…

横須賀城と遠州灘

徳川家康が高天神城攻めのために作らせたという横須賀城。 この城は、平城で、明治維新まで使われていた城です。 天竜川より運んだという玉石垣を用いた築城に特徴があります。 この城のすぐ南は遠州灘。遠州灘は太平洋そのもので外海なので波も常に高く、南…

戦国時代を感じる諏訪原城(牧野城)とお茶

諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国金谷(静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の山城。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神が祀られていました。徳川氏の時代の城名は牧野城。徳川家康は諏訪原城を接収すると、今川氏真を城主として一時的に任じました…

ケスタ地形の要塞・高天神城

「高天神を制するものは遠州を制す」とされ、徳川と武田の争奪戦が行われた高天神城。この城は、ケスタ(Cuesta)地形と呼ばれる波状の地形が利用された場所に作られた山城です。実際に歩いてみると、まさに戦国の要塞という印象を受けます。 また、数多くの…

徳川家康ゆかりの浜松広沢3寺院と金魚

普済寺、西来院、宗源院(下の「家康の散歩道」の地図で、16, 17, 18)は、浜松城の西側、広沢にある3つの曹洞宗の寺院です。広沢というように、昔はこの地に大きな池があったようですが、現在ではそのようなものは見られません。なお、この地区の道はかなり…

徳川家康と東京女子医大

「高天神を制するものは遠州を制する」 徳川と武田が攻防戦を繰り広げた遠江国城東郡土方(ひじかた、掛川市上土方・下土方)の高天神城。 吉岡彌生 掛川市土方は、東京都新宿区にある東京女子医科大学の創立者として知られる吉岡彌生の出身地です。 吉岡彌…

徳川家康と遠州三山

遠州三山は、静岡県西部の袋井市内にある「法多山」「可睡斎」「油山寺」と、歴史のある大きな寺院です。それぞれが徳川家康と関係があります。 法多山尊永寺 (高野山真言宗)萬松山可睡斎 (曹洞宗)医王山油山寺 (真言宗智山派) 法多山 法多山といえば…

徳川家康の側室3人の菩提寺

徳川家康の側室のうち、政治外交的な役割をした阿茶局などに対して、西郷局(お愛の方)、養珠院(お万の方)、相応院(お亀の方)は、二代将軍の秀忠、御三家の当主の生母として重要な存在になっています。 西郷の局 二代将軍である徳川秀忠は掛川出身の西…

徳川家康と東海道三大グルメ

江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…

徳川家康の2正室の墓@静岡県

徳川家康の正室、2人の女性はそれぞれ戦国時代に人生を翻弄されました。 築山御前 佐鳴湖(@浜松市)の湖畔に散ったとされる築山殿。遺体は浜松市中区広沢の西来院(曹洞宗)に葬られました。首塚は、岡崎市の祐傳寺(後に八柱神社に移された)にあります。…

徳川家康と「やらまいか」

今回は、これまでの記事を土台にして、徳川家康と「やらまいか」として紹介しておきます。 本田宗一郎 本田宗一郎ものづくり伝承館(浜松市天竜区)とホンダ浜松工場 山葉寅楠 ヤマハ楽器のイノベーションロード(浜松市)とヤマハ発動機コミュニケーション…

佐鳴湖と築山殿、そして松平康俊

徳川家康の正室であった築山殿は、1579年、浜松の西側にある佐鳴湖を渡った湖畔で命を落としたとされています。 現在、浜松医療センター前の太刀洗の池は見ることができなくなっています。 佐鳴湖の北東の風景。 陸に閉ざされた湖のようにみえる佐鳴湖には浜…

家康の愛した忍冬酒

忍冬酒(にんどうしゅ)は、家康の愛した薬酒とされています。スイカズラ(忍冬)のリキュールといったものです。近年復活したものですが、あちこちで見かけることができます。インターネットでも入手できます。 スイカズラ(吸い葛、学名: Lonicera japonic…

武田本隊が攻めた袋井の久野城

徳川と武田の間の三方ヶ原の戦いの前哨戦は、三ヶ野(磐田市東部、太田川・袋井市側)、見付宿、一言坂(磐田市西部、天竜川・浜松市側)、挑燈野と、東から西に行われたといいます。 三ヶ野の直前には、武田の本隊は、現在の袋井市にある久野城を攻めたと言…

掛川で生まれた西郷の局(お愛の方)

掛川城、高天神城、横須賀城。掛川市は家康とも関係している3つの城で有名ですが、掛川の地は、徳川秀忠の生母として知られる西郷の局(お愛の方、宝台院) の生誕地であると伝わっています。 掛川の龍華院にある「西郷の局」の石碑 西郷の局 最初の側室であり…

伝・酒井の太鼓をあらゆる角度から

空城の計と酒井忠次の酒井の太鼓で知られる三方ヶ原合戦の後の浜松城。 磐田市見付の見付学校には、伝・酒井の太鼓が展示されています。 このNHKニュースによれば、江戸後期に、浜松城に「酒井の太鼓」があったことが確認されているということです。 浜松市…

逃げる徳川家康と遠州七不思議

金ヶ崎の退き口、伊賀越え、大阪夏の陣など、徳川家康には逃げるというイメージが強いです。特に、遠州地方には「逃げた話」がたくさん伝わっています。最終的には勝者になるので、その負けたり逃げたりするエピソードはいろいろ話になりやすいのでしょう。 …

伝・家康しかみ像を集める

この絵はあまりに有名ですが、「徳川家康三方ヶ原しかみ像」というのは「脱糞」や「人の一生は重荷を負うて」とともに、史実としては否定されているというのが常識になっています。 実物は名古屋の徳川美術館にあるということですが、見たことがありません。…

三方ヶ原台地での戦いと遠州鉄道

三方ヶ原の戦い JR浜松駅前のアクトタワーからの眺めです。浜松城、犀ヶ崖(布橋)、銭取、小豆餅という場所が三方ヶ原台地の南北に沿って、点在している様子がわかります。 一方、台地から降りたところにある現役の遠州鉄道(西鹿島線)はJR浜松駅前から北…