徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

建築

家康と医王寺@磐田

磐田市の鎌田は神明宮や古墳群など歴史を感じる自然豊かな地区です。 奈良時代に創建され、「東海の苔寺」と呼ばれる医王寺は、鎌田にあるお寺です。 徳川家康が、1ヶ月にわたって幕府隆盛を祈願したと言われていますが、これはどういうことなのでしょうか。…

万斛庄屋公園と甘露寺@浜松

茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男松平忠輝の生母です。名前がややこしいですが、家康の晩年、大阪城攻めの講和交渉など政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。浜松市東区中郡町には、家康が鷹狩りにで…

家康の城下町、名古屋

大阪の陣の前、1610年に、江戸や駿府より西にある徳川の大拠点として築かれたのが名古屋城。名古屋の城下町を作ったのは家康です。 尾張の中心は、それまで清須城でしたが、水害や水攻めなどによる防衛を考え、城だけでなく街の建物、人といった機能をそのま…

伊賀八幡宮で戦勝祈願

家康は、戦の前には伊賀八幡宮で戦勝祈願したといわれます。 伊賀八幡宮は、1470年、松平4代の松平親忠が、松平氏の氏神として社を伊賀国より現在の地に移したことで始まったとされます。慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われ、家光が社殿を拡張し…

小梳神社と別雷神社@静岡市

浜松の家康の散歩道にある3つのマイナー神社について、以前、紹介しました。 一方、静岡市の駿府城の近くにある小梳神社と別雷神社も、家康関係で紹介されるあまり馴染みのない神社です。 小梳神社(おぐしじんじゃ) 梳というのは、髪をとかす「くし」です…

三大東照宮の滝山東照宮

全国に130ほどあると言われる東照宮のうちでも、三大東照宮といわれるものがあります。久能山東照宮と日光東照宮は特別として、しばしば三大東照宮の一つと言われるのが、岡崎の滝山東照宮です。 東照宮 - Wikipedia 滝山東照宮(たきさん とうしょうぐう)…

井伊谷城に登る

家康の城ではないですが、家康とも関わりのある城が、井伊城です。井伊谷を治めた井伊氏の居住のための城が井伊城で、平城です。一方、井伊城に付設した井伊谷城は山城ですが、狭い山頂部と簡単な土塁を造っただけのの物見台のようなもので、籠城戦といった…

静岡浅間神社の立川流彫刻

静岡浅間神社の立川流彫刻は、日光や久能山東照宮と同様に、絢爛豪華な装飾美を持った日本文化の一面です。わびさびの美とは対照をなすものですが、日本美術の違った部分を味わうのも楽しいものです。 大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ) 「阿倍乃市(…

松平8代(その6)大樹寺

大樹寺(だいじゅじ / だいじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 松平4代の親忠により、1475年に創建されたと伝えられています。 多宝塔は、松平清康の時代、1535年にできたとされ、大樹寺では現存する最も古い建物です。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代…

松平8代(その5)松應寺横丁

岡崎城の北側に少し歩いたところにある松應寺(しょうおうじ)は、家康の父である松平広忠の廟所や松應寺横丁で知られています。小さいけれども印象深い浄土宗のお寺です。 1549年に広忠の菩提を弔うため、1560年に家康が創建したということです。松を見て家…

松平8代(その4)広忠と清康@大林寺

家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。 8代 広忠 松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林…

松平8代(その3)白土塀の随念寺

家康の祖父である松平清康は尾張の守山城で変死し(森山崩れ、守山崩れ)、遺骸は岡崎市中央部にある随念寺で荼毘にふされました。墓所は岡崎城の北側にある大林寺、そして松平家の菩提寺である大樹寺にあります。 7代 清康 安祥松平家の3代。安祥城城主およ…

松平8代(その1)岩津

徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。 今…

家康ゆかりの法蔵寺と近藤勇、冨田勲

法蔵寺は、岡崎市本宿にある浄土宗のお寺です。岡崎市内にありますが、名鉄の電車で東岡崎駅から5駅行ったところにあるので、岡崎城などの観光スポットからは外れています。 本宿は、東海道53次の赤坂宿と藤川宿の間にある場所で、柴田勝家の子孫の命により…

三河一向一揆(その4)吉良氏の里

1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…

三河一向一揆(その3)JR岡崎駅かいわい

岡崎の玄関というと、どうしても岡崎城に近く、活気のある名鉄「東岡崎」駅になってしまいますが、JR東海道線の「岡崎」駅にも「松平元康像」があります。そして、JR岡崎駅の界隈は、三河一向一揆の拠点となった地域でした。名鉄「東岡崎」からJR岡崎駅とい…

三河一向一揆(その2)JR西岡崎駅かいわい

三河には、親鸞がひらいた浄土真宗(一向宗)の門徒が多いとされています。そのきっかけとなったのが、親鸞が東国布教からの帰京の途中、この地に立ち寄り、妙源寺で説法を行ったことだと言われています。妙源寺は、JR西岡崎駅のすぐ北にあります。 また、JR…

三河一向一揆(その1)本證寺

三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在…

徳川家康と磐田市役所のソテツ

磐田市には、中泉御殿やその関連建築、見付の未完成城、伝・酒井の太鼓、一言坂の戦い跡だけでなく、徳川家康ゆかりのものが、いくつかあります。 磐田市役所の前に大きなソテツが植えられています。「お手植えの蘇鉄」というと、その人が直接植樹したものを…

わかる浜松城(その3)家康の散歩道のマイナー神社

浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…

わかる浜松城(その2)鬼門と裏鬼門

引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。 はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出していま…

わかる浜松城(その1)城

城郭は、時代を経て、様々に変わってしまうので、昔の姿がよくわからないということがあります。浜松城は史跡としては、真正性が低くて、チート感満載です。静岡市の駿府城の場合は堀が残っているので理解しやすいですが、浜松城は堀が残っておらず、その様…

二俣城と鳥羽山城

2005年までは、天竜市と呼ばれていた浜松市天竜区の天竜二俣地区。その前には二俣町と呼ばれていました。行政区画の名称や範囲が変更になると地域のアイデンティティを捉えるのがなかなか難しいところです。 天竜市 - Wikipedia ここにある二俣城(ふたまた…

掛川城と花・鳥

徳川家康に攻められた今川氏真が最後に朝比奈氏のもとで籠城した掛川城。 後に土佐藩主となる山内一豊が城主として10年間過ごし、戦後初の木造再建された天守で知られる掛川城。関ヶ原の戦いの前には、小山評定で山内一豊が掛川城を家康に提供するという発言…

横須賀城と遠州灘

徳川家康が高天神城攻めのために作らせたという横須賀城。 この城は、平城で、明治維新まで使われていた城です。 天竜川より運んだという玉石垣を用いた築城に特徴があります。 この城のすぐ南は遠州灘。遠州灘は太平洋そのもので外海なので波も常に高く、南…

戦国時代を感じる諏訪原城(牧野城)とお茶

諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国金谷(静岡県島田市金谷)にあった戦国時代の山城。甲斐の武田氏が築城。城内に諏訪大明神が祀られていました。徳川氏の時代の城名は牧野城。徳川家康は諏訪原城を接収すると、今川氏真を城主として一時的に任じました…

家康の側室・お万の方と龍華寺

徳川家康の側室で「お万の方」と呼ばれる人物は2名います。 一人は結城秀康の生母、長勝院(於古茶(おこちゃ)、小督局)で、もともとは築山御前の奥女中であって、浜松時代に秀康を生んだ人物です。北ノ庄の城主となった秀康のもとで、1620年に亡くなって…

駿河湾ー久能山東照宮ー日本平

駿河湾の最深部は水深2500メートル。日本で最も深い湾です。いわゆる南海トラフがあるためですが、近くにある富士山の高さとは対照的です。 駿河湾から久能山東照宮に登ります。 駿河湾の海岸から久能山までのパノラマ写真 遠くに伊豆半島が見えます 久能山 …

徳川家康と丸子宿

駿府(府中)の西隣りの宿場。とろろ汁で有名ですが、山に囲まれた風情のある街となっています。 誓願寺 誓願寺(臨済宗妙心寺派)は、源頼朝の開基でしたが、焼失したため、武田信玄によって再建されました。豊臣秀頼の家老であり、方広寺鐘銘事件の弁明、…

徳川家康の駿府城

静岡県庁21階から見る駿府城を紹介したいと思います。 大御所家康像から、天守発掘現場、臨済寺、そして南アルプスの山々。 南アルプスの山々。3000メートルを超える赤石岳、聖岳は、政令指定都市である静岡市内にある山々です。 天守台の発掘現場。 臨済寺 …