浜松
遠江の家康ゆかりの地ベスト10ということで、まとめてみたいと思います。 JR東海の列車でもこんな吊り広告を見かけます。 高天神城 これからの夏の季節、山城の見学はかなり厳しいものがあります。 暑さ、蚊や蜂や蛇の出現、草で地面が見にくく堀などがわか…
謀反を計画したために、大岡弥四郎(あるいは大賀弥四郎)は、岡崎の街の辻で土に埋められ、その首を通行人に竹鋸で引かれたとされます。その場所はどこだったのでしょうか? 現在は名鉄の東岡崎の駅が玄関になっています。 当時は浜松から来た場合、岡崎城…
現在、岡崎から浜松、見付(磐田)に行く場合は、東海道が基本になっていますので、吉田(豊橋)から新居、弁天島、舞阪を通って、浜名湖を渡る経路を思い浮かべると思います。JRの東海道本線、東海道新幹線、バイパスでわかりにくくなりましたが国道1号線…
お万の方が、1574年、宇布見(浜松市西区)の中村家で産んだとされる結城秀康。幼名は於義伊(おぎい、於義丸)でした。これは、魚のギギに似ていたことから名付けられたといいます。 ギギは、ナマズ目の魚ですが、どんな魚なのでしょうか?ギギは、義義と書…
上村清兵衛という人が見付(磐田)に住んでいて、酒を作っていました。徳川家康が見付を訪れた時、冷酒を出したところ、家康は気に入って、冷酒清兵衛と呼ぶようになったといいます。 その後、家康が武田方に追われて見付に逃れてきました。見付宿に火を放ち…
浜松城の東側にできた「浜松出世パーク」あるいは「大河ドラマ館」のある場所ですが、ここは浜松城の二の丸跡でした。その後、浜松尋常小学校(1943年に元城小学校となる)となりました。 山葉寅楠は、1887年にこの浜松尋常小学校から、米国製オルガンの修理…
家康の側室お万の方が家康の第二子である結城秀康(於義丸)を産んだとされる宇布見(浜松市西区、JR舞阪駅の北1.5km)の中村家住宅。 中村家住宅には、胞衣塚や家康が植えたと伝えられる梅がありますが、その近くにあるのが息神社(おきじんじゃ)です。705…
いろいろな場所にある家康像を集めてみました。 どこにあるのか、わかりますか? ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
三方ヶ原の戦いまとめです。 JR浜松駅前のアクトタワー展望回廊 三方原の戦いの様子を実感するには、JR浜松駅前のアクトタワーの展望回廊に行くのがよいと思います。展望回廊は、オークラアクトシティホテル浜松のロビーのエレベーターを利用することで行く…
徳川家康の正室(正妻)と側室(別妻)の一部について、まとめておきます。 西郡局と西郷局、茶阿局と阿茶局、2人いる「お万の方」など、紛らわしいところに注意したいところです。 築山御前(瀬名姫)と駿河御前(旭姫、朝日姫):2人の正室 西郡局:最初…
茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男松平忠輝の生母です。名前がややこしいですが、家康の晩年、大阪城攻めの講和交渉など政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。浜松市東区中郡町には、家康が鷹狩りにで…
浜松まつりゆかりの椿姫のアップデートです。 今年の浜松まつりのポスターも。 お田鶴の方 - Wikipedia ランキング参加中日本史 ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中徳川家康
一言坂の戦い(ひとことざかのたたかい)は、三方ヶ原の戦いの前哨戦、徳川側撤退戦としては、最も有名な戦いです。一言坂は、磐田原台地の西側、天竜川の東にあります。 「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」が有名です。 また、しばしば話題…
家康の城ではないですが、家康とも関わりのある城が、井伊城です。井伊谷を治めた井伊氏の居住のための城が井伊城で、平城です。一方、井伊城に付設した井伊谷城は山城ですが、狭い山頂部と簡単な土塁を造っただけのの物見台のようなもので、籠城戦といった…
三方ヶ原の戦い。まとめ編です。 三方ヶ原霊園の近くにある「三方ヶ原古戦場」 三方ヶ原合戦の開始は夕方であったと伝えられています。夕方になると、三方ヶ原古戦場の文字がくっきりと浮き上がっています。 犀ヶ崖(さいががけ)資料館 本多忠真顕彰碑 犀ヶ…
先日放送されたNHKの「英雄たちの選択」で家康による見付(磐田市)での築城の試みが大きく取り上げられていました。 「英雄たちの選択」、これほど幻となった家康の見付城を取り上げてくださった番組はなかったと思います。見付城はいまは城山球場で、その…
江戸幕府の二代将軍となった秀忠の生母として知られるお愛の方(西郷局)。 姉川(1570)、三方原(1572)、長篠(1575)、信康・築山殿処分、本能寺と伊賀越(1582)、天正壬午の乱、小牧長久手(1584)までの浜松時代(1570-1586)に家康を支えた、掛川生まれとされる…
徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…
岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれる家康の最初の正妻。 今回は築山殿についてまとめてみたいと思います。 File:築山殿.jpg - Wikimedia Commons 岡崎市の築山 「築山」があったとされる岡崎市の康生郵便局の近辺の風景です。籠田公園の南…
家康の側室で「お万の方」と呼ばれる側室は2名います。 一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、日蓮宗に帰依した養珠院と呼ばれる人物です。 もうひとりの「お万の方」は、長勝院(ち…
浜松の「家康の散歩道」には、定番の観光名所とは必ずしもいえないようなマイナー神社が含まれています。元城町東照宮、五社神社・諏訪神社、浜松八幡宮なら、観光の場所となるでしょうが、いくつかの神社はあまりよく知られていないと感じます。 遠江分器稲…
引馬城跡とされる元城町東照宮は、観光スポットとして有名ですが、この東照宮は明治時代(1886年)になって作られたものです。そもそも浜松城の設計には全く無関係なものということになります。 はままつ動画チャンネルが、新しい浜松城解説動画を出していま…
城郭は、時代を経て、様々に変わってしまうので、昔の姿がよくわからないということがあります。浜松城は史跡としては、真正性が低くて、チート感満載です。静岡市の駿府城の場合は堀が残っているので理解しやすいですが、浜松城は堀が残っておらず、その様…
武田vs徳川(+織田)の「三方ヶ原の戦い」の前哨戦が「一言坂の戦い」なら、そのまた前哨戦が「三ヶ野の戦い」です。三ヶ野(みかの)は、磐田市の東側に位置します。 大日堂 その際、徳川方(本多忠勝)が、東からやってくる武田方を物見したというのが大日…
浜名湖の舘山寺(かんざんじ)近くにある堀江城。大沢氏が鎌倉時代に築城したと言われ、戦国時代になると、大沢氏も今川氏に支配されたことで、今川氏の城となりました。徳川家康が三河から遠江に侵攻した1569年、大沢基胤(おおさわもとたね)は遠江におけ…
2005年までは、天竜市と呼ばれていた浜松市天竜区の天竜二俣地区。その前には二俣町と呼ばれていました。行政区画の名称や範囲が変更になると地域のアイデンティティを捉えるのがなかなか難しいところです。 天竜市 - Wikipedia ここにある二俣城(ふたまた…
凧といえば、浜松の大凧。遠州地方では、袋井の丸凧、大須賀の遠州横須賀凧といった凧も知られています。特に冬に海岸部で風が強い「遠州のからっ風」を利用した凧。 そして、戦国時代には軍事目的に凧が利用されたと言われています。 浜松まつりの凧揚げ合…
茶阿局(お久の方、ちゃあのつぼね)は、家康の6男である松平忠輝の生母です。家康の晩年、政治的にも重要な役割をした阿茶局(雲光院、あちゃのつぼね)とは別人物です。 松平忠輝というと、伊達政宗の娘である五郎八姫(いろはひめ)と結婚しましたが、終…
普済寺、西来院、宗源院(下の「家康の散歩道」の地図で、16, 17, 18)は、浜松城の西側、広沢にある3つの曹洞宗の寺院です。広沢というように、昔はこの地に大きな池があったようですが、現在ではそのようなものは見られません。なお、この地区の道はかなり…
駿河湾の最深部は水深2500メートル。日本で最も深い湾です。いわゆる南海トラフがあるためですが、近くにある富士山の高さとは対照的です。 駿河湾から久能山東照宮に登ります。 駿河湾の海岸から久能山までのパノラマ写真 遠くに伊豆半島が見えます 久能山 …