徳川家康で学ぶ科学・技術

徳川家康をきっかけに科学や技術の理解を深めます。歴史、観光情報、グルメから、先端の科学技術まで勉強できてしまう全く新しいブログです。コメントや連絡も一番下のコメント欄でお待ちしております。

三河

徳川四天王の石像@岡崎

岡崎市にある徳川四天王の石像です。名鉄・東岡崎駅から桜城橋を渡っていったところにあります。 徳川四天王 - Wikipedia Q.桜城橋完成・徳川四天王像披露式典を開催します。 | 岡崎市ホームページ 本多忠勝 @岡崎城 酒井忠次 井伊直政 榊原康政 ランキング…

伊賀八幡宮で戦勝祈願

家康は、戦の前には伊賀八幡宮で戦勝祈願したといわれます。 伊賀八幡宮は、1470年、松平4代の松平親忠が、松平氏の氏神として社を伊賀国より現在の地に移したことで始まったとされます。慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われ、家光が社殿を拡張し…

三大東照宮の滝山東照宮

全国に130ほどあると言われる東照宮のうちでも、三大東照宮といわれるものがあります。久能山東照宮と日光東照宮は特別として、しばしば三大東照宮の一つと言われるのが、岡崎の滝山東照宮です。 東照宮 - Wikipedia 滝山東照宮(たきさん とうしょうぐう)…

人質交換の地@笠寺観音

竹千代は、熱田神宮、七里の渡し付近で人質生活を過ごしたとされています。 竹千代と、今川に囚われた織田信長の兄である信広が人質交換された場所とされる碑が、名古屋市の笠寺観音(笠覆寺、りゅうふくじ)にあります。 笠寺観音(かさでらかんのん) 宮本…

大高城と桶狭間

大高城は、桶狭間の戦いの前に、今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」を行い、成功したことで知られています。 昔は海岸線にあった大高城を訪ねてみました。 大高城やその周辺の織田方2つの砦は、JR東海道線の大高駅付近にあります。 …

松平8代(その6)大樹寺

大樹寺(だいじゅじ / だいじゅうじ)は、浄土宗のお寺です。 松平4代の親忠により、1475年に創建されたと伝えられています。 多宝塔は、松平清康の時代、1535年にできたとされ、大樹寺では現存する最も古い建物です。徳川氏(松平氏)の菩提寺であり、歴代…

松平8代(その5)松應寺横丁

岡崎城の北側に少し歩いたところにある松應寺(しょうおうじ)は、家康の父である松平広忠の廟所や松應寺横丁で知られています。小さいけれども印象深い浄土宗のお寺です。 1549年に広忠の菩提を弔うため、1560年に家康が創建したということです。松を見て家…

松平8代(その4)広忠と清康@大林寺

家康の父である松平広忠、祖父である松平清康の墓所は、大樹寺にあるわけですが、他にもいくつかの場所にあり、混乱しやすいです。 8代 広忠 松平広忠の墓は、岡崎市内の大樹寺に加え、大林寺、松應寺、法蔵寺、広忠寺と5つの墓所があるということです。大林…

松平8代(その3)白土塀の随念寺

家康の祖父である松平清康は尾張の守山城で変死し(森山崩れ、守山崩れ)、遺骸は岡崎市中央部にある随念寺で荼毘にふされました。墓所は岡崎城の北側にある大林寺、そして松平家の菩提寺である大樹寺にあります。 7代 清康 安祥松平家の3代。安祥城城主およ…

松平8代(その2)安祥

安祥城(安城城)は、松平氏が居城とした平山城で、松平3代から7代が利用しました。それぞれの関わりは以下のようになります。 3代 信光岩津を拠点にした信光は、応仁の乱中には安祥(安城)、岡崎を攻略し、松平氏発展の基礎を固めました。 松平信光 - Wiki…

松平8代(その1)岩津

徳川家康につながる松平8代。親氏の松平氏の発祥の地は、現在は豊田市松平町になっている松平郷だと言われています。そこから岩津、安城(安祥)と移動して、岡崎に来ています。つまり、岩津と安城(安祥)は、家康の先祖が拠点とした地ということです。 今…

信康の供養塔@浜松、岡崎、清水

徳川家康と築山殿の間に生まれた長男で二俣城で自刃したとされる松平信康。 信康の供養塔を訪ねてみました。 wikipediaからの引用 信康の死後、家康は信康の廟所として清瀧寺を建立し、寺域には胴体が葬られた信康廟が現存している。首塚を祀った若宮八幡宮…

築山と築山殿の墓碑を訪ねて@岡崎&浜松

岡崎の築山に居を構えていたことから、築山殿と呼ばれる家康の最初の正妻。 今回は築山殿についてまとめてみたいと思います。 File:築山殿.jpg - Wikimedia Commons 岡崎市の築山 「築山」があったとされる岡崎市の康生郵便局の近辺の風景です。籠田公園の南…

家康ゆかりの法蔵寺と近藤勇、冨田勲

法蔵寺は、岡崎市本宿にある浄土宗のお寺です。岡崎市内にありますが、名鉄の電車で東岡崎駅から5駅行ったところにあるので、岡崎城などの観光スポットからは外れています。 本宿は、東海道53次の赤坂宿と藤川宿の間にある場所で、柴田勝家の子孫の命により…

知立神社と側室お万の方

家康の側室で「お万の方」と呼ばれる側室は2名います。 一人は、家康が年老いてからの側室で、駿府で育った紀州徳川家の徳川頼宣、水戸徳川家の徳川頼房の生母であり、日蓮宗に帰依した養珠院と呼ばれる人物です。 もうひとりの「お万の方」は、長勝院(ち…

三河一向一揆(その4)吉良氏の里

1560年、桶狭間の戦い後、松平元康は今川氏から独立。吉良義昭は家康と対立しましたが、藤波畷の戦いで一旦降伏しました。しかし、1563年になると、西三河で三河一向一揆が勃発し、吉良義昭は家康に再び対抗しました。一揆は解体され、吉良義昭も東条城(愛…

三河一向一揆(その3)JR岡崎駅かいわい

岡崎の玄関というと、どうしても岡崎城に近く、活気のある名鉄「東岡崎」駅になってしまいますが、JR東海道線の「岡崎」駅にも「松平元康像」があります。そして、JR岡崎駅の界隈は、三河一向一揆の拠点となった地域でした。名鉄「東岡崎」からJR岡崎駅とい…

三河一向一揆(その2)JR西岡崎駅かいわい

三河には、親鸞がひらいた浄土真宗(一向宗)の門徒が多いとされています。そのきっかけとなったのが、親鸞が東国布教からの帰京の途中、この地に立ち寄り、妙源寺で説法を行ったことだと言われています。妙源寺は、JR西岡崎駅のすぐ北にあります。 また、JR…

三河一向一揆(その1)本證寺

三河一向一揆は、徳川家康の3大危機の一つともされるものです。西三河で1563年から1564年まで半年間にわたって起こったと言われています。中心勢力は、本證寺(ほんしょうじ)、上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)の三河三ヶ寺と本宗寺(現在…

於大の方ゆかりの刈谷、東浦、境川

刈谷市と東浦町は、徳川家康の生母である於大の方ゆかりの地。於大ゆかりのとても立派な施設があることに驚きます。また、刈谷と東浦町の間にあるのが、境川。三河と尾張の国境にある河川です。したがって、刈谷市は三河に、東浦町は尾張にあるということに…

徳川家康と東海道三大グルメ

江戸期の東海道の三大食べ物名物は、 「新居の鰻蒲焼 」 「丸子のとろろ汁 」 「桑名の焼蛤」 と言われていたそうです。 徳川家康に関係した場所では、 「岡崎の八丁味噌」 「浜松の鯉鮒料理」 「府中(静岡)の安倍川餅」。 岡崎の八丁味噌と府中の安倍川餅…

佐鳴湖と築山殿、そして松平康俊

徳川家康の正室であった築山殿は、1579年、浜松の西側にある佐鳴湖を渡った湖畔で命を落としたとされています。 現在、浜松医療センター前の太刀洗の池は見ることができなくなっています。 佐鳴湖の北東の風景。 陸に閉ざされた湖のようにみえる佐鳴湖には浜…

岡崎の「明大寺町西郷中」と「築山」という場所

明大寺町西郷中 愛知県岡崎市には、文科省の自然科学研究機構の3つの自然科学系研究所(分子科学研究所、生理学研究所、基礎生物学研究所)があります。もともとは、愛知教育大学のキャンパスだったそうです。この研究所の住所は、「岡崎市明大寺町西郷中」…

家康の愛した忍冬酒

忍冬酒(にんどうしゅ)は、家康の愛した薬酒とされています。スイカズラ(忍冬)のリキュールといったものです。近年復活したものですが、あちこちで見かけることができます。インターネットでも入手できます。 スイカズラ(吸い葛、学名: Lonicera japonic…

掛川で生まれた西郷の局(お愛の方)

掛川城、高天神城、横須賀城。掛川市は家康とも関係している3つの城で有名ですが、掛川の地は、徳川秀忠の生母として知られる西郷の局(お愛の方、宝台院) の生誕地であると伝わっています。 掛川の龍華院にある「西郷の局」の石碑 西郷の局 最初の側室であり…

徳川家康の好物?

徳川家康が健康に関心が高く、食べ物にも気をつかっていたことはよく知られています。 よく言われるのは、粗食、晩年は天ぷらとも言われ、鯛の天ぷらが死因だったという話は有名です(おそらく直接の死因ではない)。今では、日本料理として認識される天ぷら…

家康の黒歴史とみをつくし

三河を統一した家康が、武田との密約で遠江に侵攻した時に起こった堀川城に対する攻撃。それは、「男女ともになで斬りにしたりける」(三河物語)と伝えられ、徳川の「黒歴史」とも言われています。 気賀に行くと堀川城や獄門畷というものを見ることができます…

伝・家康しかみ像を集める

この絵はあまりに有名ですが、「徳川家康三方ヶ原しかみ像」というのは「脱糞」や「人の一生は重荷を負うて」とともに、史実としては否定されているというのが常識になっています。 実物は名古屋の徳川美術館にあるということですが、見たことがありません。…

長篠合戦と三波川変成帯の緑石、中央構造線

徳川家康が当初活動した三河から遠江の地域は、地史的にも興味深いところです。特に、変成岩の種類が興味深いです。 領家変成帯と三波川変成帯 現在は浜松市になっている天竜区水窪町奥領家は、領家変成帯と呼ばれる重要な変成帯の名称の起源になっています…

家康の側室・西郡局と豊田佐吉

西郡局 本興寺(ほんこうじ)は、静岡県湖西市にある法華宗の寺院。 室町時代、鵜殿氏(うどのし)は現在の愛知県蒲郡市あたりを支配していましたが、本興寺の住職により、法華宗(日蓮宗)の信者となりました。戦国時代になると、鵜殿氏の一族が本興寺の住…